ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

蘭陵王

らんりょうおう

中国の北斉の皇族、高長恭の王号。また、高長恭の武勇伝を題材とした雅楽の演目の一つ。ここでは後者について。
目次 [非表示]

概要編集

中国の北斉の皇族、高長恭王号。また、高長恭の武勇伝を題材とした雅楽の演目の一つ。ここでは後者について解説する。


雅楽・蘭陵王編集

管絃にも舞楽にも奏される。別名蘭陵王入陣曲、短縮して陵王とも呼ばれる。

管絃演奏時には蘭陵王、舞楽演奏時には陵王と表す。


左方(唐楽)に属する壱越調(いちこつちょう)の一人舞で、華麗に装飾された仮面を被る勇壮な走り舞。答舞は納曽利(なそり)。

林邑の僧である仏哲が日本にもたらしたものと言われ、元は沙陀調(さだちょう)であったが日本で壱越調転調した。中国風の感じが残ると言われる美しい曲。


北斉の蘭陵武王・高長恭の逸話にちなんだ曲目で、眉目秀麗名将であった蘭陵王が優しげな美貌を獰猛な仮面に隠して戦に挑み見事大勝したため、兵たちが喜んでその勇士を歌に歌ったのが曲の由来とされている。

武人の舞らしい勇壮さの中に、絶世の美貌で知られた蘭陵王を偲ばせる優雅さを併せ持つ。


由来編集

この曲の由来となった伝説によると、高長恭はわずか五百騎で敵の大軍を破り洛陽を包囲するほどの名将であったが、「音容兼美」と言われるほど美しい声と優れた美貌であったため、兵達が見惚れて士気が上がらず、敵に侮られるのを恐れ、必ず獰猛な仮面をかぶって出陣したと言うもの。


男性がこの舞を舞うときは伝説に則して竜頭を模した仮面を用いるが、女性や子供が舞う場合は優しい顔立ちであった高長恭になぞらえてか化粧を施しただけの素顔で舞うこともある。


この伝説に対応する史実としては、北周が兵を発して洛陽を包囲した時、援軍を率い城門の前に到着したものの城内の人間が敵の策謀を疑って門を開けなかったため、高長恭が兜を脱ぎ顔を晒したところ、類いまれな美貌にその正体を悟った門兵が扉を開き、無事に包囲を破って洛陽の解放に貢献したという記述が『北斉書』などの史書に見える。


雅楽としては日本各地の神社にて奉納されることが多い。


装束編集

龍頭を模した舞楽面を着け、金色の桴(ばち/細い棒のこと)を携える。

緋色の紗地窠紋の刺繍をしたを用い、その上に毛縁裲襠 (りょうとう)と呼ばれる袖の無い貫頭衣を着装し、金帯を締める。


女性や少年少女が舞う場合もあり、その場合は、舞楽面を着けずに桜の挿頭花を挿した前天冠を着け、歌舞伎舞踊と同様の舞台化粧をする場合がある。


Wikipediaの蘭陵王(雅楽)より


関連イラスト編集

蘭陵王【習作】雅楽陵王

蘭陵王蘭陵王


動画編集


関連タグ編集

雅楽

SEKIROフロムソフトウェアのゲーム。劇中で蘭陵王を演奏する敵や蘭陵王の仮面を元ネタにしたアイテムが出てくる。

五月天台湾ロックバンド。雅楽との関連はないが、台湾でドラマ『蘭陵王』の主題歌

入陣曲』を歌った。


雅楽・蘭陵王を舞った作品・キャラクター編集

関連記事

親記事

高長恭 こうちょうきょう

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

pixivに投稿された小説 pixivで小説を見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 6170293

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました