概要
『東方Project』作中において具体的なキャラクターとしては登場しておらず、一部の人物からその存在が語られるのみ。
人物像をはじめ、その生涯や博麗の巫女としての活動、あるいは霊夢以前に何人の「博麗の巫女」がいたかなどについても、詳細な情報は出ていないのが現状である。
先代の巫女について言及されている台詞は以下のようなものがある。全て過去形だが、幻想郷は人と妖怪の織り成す社会そのものに博麗の巫女の存在が深く関わっているためか、直接の面識があったような口ぶりの者もいる。
「そういえば、他の人間は先代を『博麗の巫女』と呼んでいたが、あまり霊夢の事を巫女とは呼ばない。まともに仕事をしていないからであろう。自業自得だ。」
「しかし、先代は巫女としか呼ばれていなかったのだ。名前も忘れてしまった。」
「技術は安定を生む。己の腕を他に認めてもらえる。
だがそれは、変化する事を放棄し、自己を技巧の裏に隠す事である。
テクニックと自己否定は等しい、と言うのが僕の考えだ。」
(『東方永夜抄』付属の『殺しも巫女もMで始まる』、森近霖之助)
「神社から巫女の姿が消えてから早25日」
「これは そろそろ新しい巫女を捜さなきゃいけない時期ってことか」
「もう何度目になるのでしょう」
(漫画版『東方儚月抄』底巻、p. 127-129、射命丸文)
「先代の巫女もあんまり変わらないのね 間抜けっぷりが」
(『東方茨歌仙』第十五話「人の寄り付かない神社」、茨木華扇)
この内『茨歌仙』の台詞は、当代の博麗の巫女である霊夢が「先代の巫女」に言及したのを受けたものであり、「先代の巫女」の活動や以前の博麗神社ついて、部分的ながら霊夢の視点を通して語られているものでもある。
考察
原作内での記述はいずれも断片的なものばかりで、霊夢との関係、代替わりの時期と理由、今はどうしているのかなどは語られていない。
基本的に、その素性は肩書き以外殆ど謎と言えるキャラクターである。
姿を消した理由を「妖怪との戦いで殉職したのではないか」とする人もいる。
この推測は東方香霖堂において森近霖之助が八雲紫を「紫は決して幻想郷から巫女を逃がそうとはしない」と評しているシーンによる。
「幻想郷から逃げられない」という部分を「自発的に辞められない=死ぬ以外での代替わりは無い」と解釈するもので、戦闘を「ルールある遊び」にしたスペルカードルールが一般化する以前は妖怪退治の危険性が高かった事、存命のまま霊夢に引き継いだにしては接点や出番が少ない点なども、この想像の補強材料とされる。
射命丸の「巫女が姿を消した」「新しい巫女を捜す」「もう何度目」というセリフが霊夢に限らず過去の巫女たちにも当てはまるものと考えると、
- 先代が姿を消した時点で、後継者は霊夢だと確定していなかった(既に複数の候補者がいたのか、当代巫女の喪失に伴ってイチから探す方式なのかなどは不明)
- 先代巫女自身による引き継ぎや次世代の育成などは行われていない(制度と無関係に育てていた者は居るといった余地はある)
- 「博麗の巫女」という立場は家系や血縁と無関係である(何者かによる任命や、適性を持つ者が無作為に出現するのを見つけ出すなどパターンは色々とあり得る)
といったスキマだらけの推測は可能だが、公式には霊夢と先代の間柄が近しいとも遠いとも、親類縁者であるともないとも明言されていないので、霊夢との関係性などについては「空想や仮説で埋める余地がかなりある」というのが現状。
二次創作
上記の余白の大きさに加えて、東方シリーズは二次創作が盛んゆえに、ファンの間では既出の情報を組み合わせて先代の巫女に関する出来事や人物像を推理、創作できないかという試みも珍しくない。
大胆なものでは、霊夢を含む現在の人妖たちに大きな影響を与えた存在であるとする作品や、今も元気にやっていて、先輩OG的な立場で普通にストーリーに絡んでくるといった作品のほか、旧作の主人公である博麗靈夢が先代巫女にあたるとした作品も多い。
「先代」という響きから、『霊夢の母親ではないか』という説が唱えられた事もあり、ドラマ造りにそうした設定を大いに活用するファンも見られる。
具体的な外見や性格などについても、二次創作によって様々なキャラクター性が産み出されている。
そうした東方オリキャラとしての先代の巫女については「先代巫女」を参照。
pixivにおいても「オリキャラの先代巫女」を含め様々な「先代の巫女」像とストーリーが創作されている。
関連タグ
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