富山城
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とやまじょう
富山県富山市にあった城
越中富山城とも言われる。
16世紀に水越氏(後の神保氏)によって築城されたとされるが実際にはそれ以前の室町時代から存在していたともされる。
「安住の館」と呼ばれていたという説もある。
神保氏の治世はわずか3代であり、その後上杉、織田と城主は次々と変わっていく。
佐々成政の時代に大規模な改修を受け現在の城郭となる。
ところが本能寺の変以降秀吉に逆らい10万の大軍の前に敗北する。
その後前田利長が隠居用の城として利用するも火災で全焼させる。
再建された後前田氏によって富山藩として独立。
幕末まで13代に渡って存続することになる。
初代天守は五層であり鯱が3つあるという一風変わったものであった。
(新発田城と同じとされる)
再建後の天守は三層であったとされる。
尚、再建天守は高岡城を参考にしたとされる。
昭和に天守が再建されるも模擬天守であった。
城跡は現在城址公園となっている。
富山藩二代目城主前田正甫が富山売薬を普及させたことでも有名である。
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