小笠原長治(武将)
生年不詳、1582年没。
大内氏・毛利氏に仕えた石見小笠原氏の出身。第12代当主・小笠原長隆の孫として生まれた。
重臣として小笠原氏本家の下で働いた。主君である第15代当主・長旌に跡継ぎが中々生まれず、毛利氏の血筋を引く吉川氏から養子を取ろうと画策していたが、毛利輝元の反対で頓挫している。
小笠原長治(剣豪)
1570年生まれ、没年不詳(一説には寛永年間に没したとも)。
江戸時代初期の兵法家・剣豪で、「真新陰流剣術」の開祖。「玄信斎」と号し、「小笠原玄信斎」と呼ばれることもある。
遠江高天神城主・小笠原信興(長忠)の弟とも甥ともいわれ、奥山公重(休賀斎)に新陰流を学ぶ。
豊臣秀吉に仕え、小田原征伐や大坂の陣にも武将として出陣している。
大坂夏の陣の後に明に渡航、中国武術(矛術)を修めたうえで「八寸の延金」の奥義に開眼、日本に帰国後に江戸に道場を開く。
「八寸の延金」の奥義の前には、当時の名だたる剣豪も為す術なく打ち破られたというが、その実態は不明である。剣の柄の握りを八寸滑らせることによって突如として斬撃の間合いを八寸伸ばす剣技とも、八寸の短刀を用いた武器術とも、心法(精神修行)を練ることによる無敵の境地とも諸説あるが、完全に失伝しているため現在まで伝わっていない「幻の秘伝」である。
門弟に針ヶ谷夕雲(無住心剣流開祖)、神谷伝心斎(直心流祖、後に直心影流に発展)がいる。
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直心影流−系譜で第四代宗家とされている