レディメイド・エンタテインメント所属。妻は同事務所の代表取締役で文筆家の長谷部千彩。
プロフィール
概要・来歴
札幌市で出生するも3歳から中学1年までは東京都で育ち、中学2年から高校卒業までは札幌市に戻って過ごしていた。また、小学校5年生の頃から音楽に目覚めてレコードコレクションを開始している。その後、1年浪人したが青山学院大学経営学部に入学。大学に在籍していた頃は音楽サークル「ベターデイズ」に所属し、後にピチカート・ファイヴ結成時のメンバーと出会う。
大学3年生の頃から映画にハマり、メジャーデビューするまで名画座を渡り歩き年間200本もの映画を観るだけでは飽き足りるのか、日活の助監督試験を受験したほどであった。
1984年に高浪慶太郎、鴨宮諒、佐々木麻美子らとピチカート・ファイヴを結成。その後は高浪慶太郎・田島貴男・小西康陽時代に国内音楽ファンからの支持を獲得し、野宮真貴との二人体制時代に制作した楽曲で日本国内の知名度と世界の音楽マニアからの熱狂的な支持を得る。
「ピチカート・ファイヴとしてやることをやりきった」事を理由にバンドは解散。解散後はドラマや映画のサントラの他、CM曲や数々のリミックスアルバム等に多数参加。他にもプロモーション・ビデオなどでのアートワークや映画評論、コラムなども手掛けている。
無類のレコードコレクターとしてのキャリアを活かして東京都内や海外でもDJとしてフロアを沸かせている。親交のある須永辰緒と共に「レコード番長」と称される大物DJの一人であり、「マツケンサンバ」のリミックスで同曲の大ヒットへとつなげた。
音楽作家としては「慎吾ママのおはロック」のプロデュース、作詞・作曲を担当したことで有名。また、松浦亜弥「ね~え?」の編曲や和田アキ子『Free Soul Wada Akiko』TOKIO『TOK10』などのプロデュースも担当している他、Negiccoの『アイドルばかり聴かないで』で所謂アイドル戦国時代に突入したばかりの女性アイドル音楽シーンに一石を投じた。
また、彼が手掛けた『ONE PIECE FILM STRONG WORLD』のオープニングテーマはピチカート・ファイヴ「ウィークエンド」のアレンジバージョンである。
関連動画
ピチカート・ファイヴ時代
解散後の代表作