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概要編集

准位は従五位→従三位。定員は2名。後宮での女房(侍女や女中にあたる)中では尚蔵についで高い地位。※平安時代前期までには尚蔵を兼ねることもあったが尚蔵は徐々に機能が低下し、廃絶。

多くは摂関家などの有力な家の妻や娘から選任される。天皇や東宮に側で仕え、臣下が天皇に対して提出する文書を取り次いだり、天皇の命令を臣下に伝えることなどをした。これらの職掌は尚侍のみで典侍など長官ではない官職は取り扱うことができなかった。


10世紀末頃から女御・更衣に準じて後宮に列するようになり、実際の女官としての業務は典侍以下が担ったと思われる。また、東宮妃・后妃となる前に箔付けのために尚侍となった例もあり、希に女院号を授与される場合もある。


任じられたことがある主な女性編集

藤原宇比良古:最古の尚侍。藤原房前の娘で藤原仲麻呂の妻。


藤原薬子:藤原種継の娘で藤原縄主の妻。平城天皇の寵愛を受け、権力を振るった。


藤原妍子:藤原道長の次女。のちの三条天皇の中宮で禎子内親王の母。枇杷殿皇太后。


藤原威子:藤原道長の四女。のちの後一条天皇の中宮。章子内親王(後冷泉天皇中宮)、馨子内親王(後三条天皇中宮)の母。


藤原嬉子:藤原道長の六女。のちの後朱雀天皇(敦良親王)の東宮妃。後冷泉天皇(親仁親王)の母。親仁親王を出産した二日後に薨去。正一位を追贈。親王が天皇即位に伴い皇太后を追贈される。


関連タグ編集

平安時代

後宮

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