概要
岩手県盛岡市に本社を置き、岩手県のみならず、青森県八戸市や宮城県気仙沼市も取材・配布エリアとする地方紙。
岩手県の事実上の県紙で、全国紙をはじめとした他紙を圧倒し、多くの家庭、職場で購読されている。現在は朝刊のみだが、2010年6月30日付までは夕刊もあった。
盛岡市に本社を置く民間放送局各社とはなんらかの結びつきがあるが、特にIBC岩手放送とは同社創立時から強力なパートナーシップを築いている。故に、テレビ欄の先頭(向かって左端)はNHK総合ではなくIBC岩手放送であり、しかも民放各局との関係もあってか、NHK総合は岩手朝日テレビのあと(右側)に掲載されている。
1938年1月に「新岩手日報」として創刊された。1951年9月に今の名前に改めている。
なお、岩手県の新聞としては1876年に創刊された「巖手新聞誌」と、その流れをくむ「巖手日報」が存在したが、1931年に親会社の銀行が経営難に陥った(その後1933年に事実上経営破綻)のがもとで社内対立が発生、巖手日報を追い出された人たちによって作られたのが、今の岩手日報につながる新岩手日報である。なお、巖手日報は、結局1938年9月に経営破綻・事実上廃刊に追い込まれた。