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概要編集

1964年4月に平凡出版(現在のマガジンハウス)から創刊された。

主に十代後半から二十代をターゲットにした週刊誌であり、様々な情報やグラビアを取り扱っていた。

ライバルである週刊プレイボーイ集英社)が、記事に強みを見せていたのに対し、こちらはグラビアとファッション情報に長けていた。

さらに言えば、1967年1月から1982年12月にかけて、ニッポン放送九州朝日放送北海道放送東北放送信越放送山陽放送などで放送されたラジオ番組「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」のスポンサーも務めた。


しかし、1976年に「POPEYE」、1980年5月に「BRUTUS」が創刊されると、ファッション情報は前者、生活情報は後者が主に取り扱うようになったため、こちらの発行部数が減少してしまう。

そんなこともあってか、表紙を女性の写真からサトウサンペイによるイラストに変更したり、タイトルを「HEIBONパンチ」にしたり(ただし割と短期間で元に戻したが)と迷走した結果、1988年10月に休刊したのだった。ただしマガジンハウスサイドはこれを「冬眠」とし、約半年後には復活すると説明していた。


つかの間の復活、そして終焉編集

1989年2月9日、「NEWパンチザウルス」と改題した上で復活を果たす。情報雑誌と漫画雑誌を並立させたような誌面構成が特徴であった。

しかし、平凡パンチの路線を引き継がず、漫画雑誌としてみてもあまりに中途半端(そもそもマガジンハウス自体漫画雑誌を手掛けたことがなかった)だったがゆえに実売は低迷、結局同年6月に廃刊、平凡パンチも含め通算25年の歴史に幕を下ろした。


関連タグ編集

松田聖子:デビュー当時かなりプッシュしてもらっており、彼女が出世するきっかけを作ったと言える。

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