生涯
天智天皇の皇子(御子)。7男。
叔父の天武天皇が吉野へ行幸する際、天武、天智両名の子息とともに
皇位継承の際、争いをしませんという盟約を誓う(吉野の盟約という)。
姉であり天武天皇の妻でもある持統天皇の時は任官の記録がなく、不遇な扱いを受けていたという。
文武天皇のとき、大宝令制定に際して官位を与えられる。
元明天皇が即位すると再び天皇の兄妹となり官位も上がっていった。
壬申の乱を機に天武系統が力を持ったため皇位継承に対する関心は薄れ
歌人として生きる人生だったという。自然鑑賞に優れていたといい万葉集に6首、
新古今和歌集や勅撰和歌集にも5首登録されている。
その後
皇位継承や政治よりも歌人として文化をたしなみ優れた歌を多く残した彼が亡くなって50年余り
突如、春日宮御宇天皇というものを授かる。
これは自身の6男・白壁王が光仁天皇として即位したためであり御陵所から田原天皇ともいう。
光仁天皇の子で彼の孫が桓武天皇であるため今の皇室の系統は彼の系統になる。
系統
・春日王
・湯原王
・難波女王
・白壁王(第49代・光仁天皇)
- 不詳
・榎井王
・壱志王
・海上女王
・衣縫女王
・坂合部女王
関連項目
道鏡・・・一説には皇子の落胤ともいわれている。