概要
要は1から6の数字(出目)を当てるゲーム。
親(ディーラー)が1から6までの札を、子(プレイヤー)に見えないように1枚選んで手ぬぐい(カミシタ)の中に入れ、号令と同時に子は親が選んだ出目を予想して任意の形式で札とコマ(チップ、金額)を張る。親が出目を発表し、当たればその形式に相当する張ったコマの配当額をもらえる。
その名のとおり、「お手本の数字を引き当てる」ゲームである。
単純ではあるが、それだけに奥が深く、日本でもトップとされる「究極のギャンブル」、「博打の王様」であり、「手本引きを知ると、他のギャンブルがつまらなくなる」とすら言われているほど。
そのような中毒性が目立ち大金が動くためか、暴力団の資金源になることも多く、警察による摘発も相次いでいった。そのため、現代の若い世代にまでは継承されず、次第に廃れていった。しかし、一部の地域ではギャンブルでない(金銭を賭けない)手本引きというイベントが開催されるため、絶滅だけは免れている。
手本引きを取り扱った作品はヤクザ・博徒映画で主に扱われ、漫画や小説でもその筋で幅広く取り扱われている。阿佐田哲也(色川武大)の小説にも手本引きを題材にした話が載っている。
「手本引き」の呼称にいたっては、送り仮名を取った「手本引」、略称で「ホンビキ」、その他「しっち」や「釣り」など。
単純ではあるが、ゲームのルールがかなり複雑である上、それに見合った礼儀作法も重視されている。手本引きが衰退したのは、案外複雑な部分にあったのかもしれない……。
例えば、親は出す札(繰り札)において何を出すか常に自覚している必要があり、適当に選んで出すのは御法度との事である。その為、親が繰り札を場に出す場合はまず札を握っている手を手ぬぐい等の布で隠し、さらには繰り札の選択を悟られないような繰り方のテクニックがあった(片手で順番を自在に操る等)。配当金・賭け金は札をそのままではなく手本引きの場合は特別な折り方をして出さないといけなかったりする。また、バカラ同様に大金が動く場でもあるので手本引きの場を仕切る侠客はかなりのやり手である事が要求される事から仕切る侠客は一目も二目も置かれていた。
起源は明治時代初期と思われ、当時の侠客・渡世人たちが考案したものともいわれている。また、1から6までの数字を当てることに関しては、さいころを1個使ったゲーム・チョボ一に酷似している。
また、手本引きをもとにさいころ2個を使った賽本引き、麻雀牌を使った牌本引き、花札を使った絵本引きなるものが存在する。