概要
ロシア正教会の伝道により誕生した正教会コミュニティで、ロシア正教会からすれば「娘教会」にあたる。
正教会キリスト教伝道のロシア側最大の功労者であるニコライは「亜使徒聖ニコライ」として聖人として認定されている。東京にある最も著名な教会堂である東京復活大聖堂の別名「ニコライ堂」の「ニコライ」とは彼のことである。なお、ニコライの埋葬式には当時の明治天皇から「恩賜の花輪」が送られている。
歴史
かつては信徒数を順調に増やし、最盛期で約3万5000人の日本人正教徒が存在した。これは1901(明治34)年の時の信徒数だが、日本人最初の正教徒が誕生したのが1868年である事、また当時の日本の人口と当時の不便さを考えると驚異的な伸び率である。
信仰書の刊行にも積極的で、近代デジタルライブラリーでは明治期の日本正教会が頒布していた書物が多数収録されている。
しかし、日露戦争など周囲の日本人の対露感情が悪化する時代になると苦境に立たされ、母教会がロシアで共産主義政党に弾圧されるようになるとさらに加速した。
海外の信者仲間が迫害されるだけでなく、なぜか迫害側のソビエト政府・共産主義と「ロシアつながり」というだけで娘教会である日本正教会を結びつける陰謀論が生じたためである。
ロシア正教会からの援助や連絡はままならず、経済的にも困難にも陥った日本正教会は伝道していく体勢を維持できなくなっていく。
教会堂への襲撃事件まで発生した。こうした苦難もあったが1912年の時点では信徒数は3万1000人おり、カトリックに継ぐ規模であった。
関東大震災では東京近辺の宗教施設を失った。ニコライ堂もこの時屋根のドームを失い内部構造も大きく破損してしまっている。
信徒の献金と異教徒による募金もあり復元に成功し、重要文化財に指定されている。
各地の破損した教会も復元が徐々に進められていった。しかし失った信者数を取り戻すことはできず2010年には一万人の信徒数となっている。
それに伴い教会堂の数も1911年には265だったのが現状では67である。
内訳は東京大主教々区20箇所、東日本主教々区32箇所、西日本主教々区15箇所。