概要
プロフィール
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 延享元年3月25日(1744年5月7日) |
死没 | 文化10年10月16日(1813年11月8日) |
官位 | 正二位、権大納言 |
主君 | 桜町天皇→桃園天皇→後桜町天皇→後桃園天皇→光格天皇 |
氏族 | 正親町家 |
父母 | 父:正親町実連、母:広幡豊忠の娘 |
兄弟 | 公明、実則、実理、脩子 |
妻 | 鍋島治茂の養女 |
子 | 実賢、実光、成実、盈源、尊雄、環子、鍾子、紹潤、比丘尼、八千子、実嗣、実孚、願弁、宮成公義室 |
経歴
延享3年(1746年)に従五位下、後に侍従、左少将、左中将、蔵人頭となり明和5年(1768年)に従三位、参議となる、明和7年(1770年)に権中納言、安永9年(1780年)に権大納言となった、寛政3年(1791年)に武家伝奏となるが寛政4年(1792年)の尊号一件では天皇の父典仁親王の尊号を幕府に反対され幕府から逼塞を命じられた、享和3年(1803年)に出家した。