概要
1927年7月2日に、2年前の石北本線建設に際してその連絡を目的として建設された。丸瀬布駅から延びる幹線は軽便鉄道ながらも国鉄と同じレールを使用し、鉄橋を多用するなど、一般の森林鉄道としては破格の高規格で建設された。但し、蒸気機関車の導入は翌年だった。雨宮製作所で製造された部品を現地で組み立てるという方法で1928年に「19号」と「20号」2台の機関車が完成し走り始めた。
戦時中は増産の為に大規模な増設が行われたが、それでもすぐ限界に達するほどの活気を呈した。この時は機関車は12両を保有し除雪車を導入し通年運行を行った。急速な拡大に人員が追い付かず、珍しい女性の森林鉄道乗務員も誕生したほどであった。
1957年に蒸気機関車が全廃されたがこの時最初に走った蒸気機関車19号改め21号は地元の住民が寄付金を集めたことで解体の方針が撤回され保存されることになった。
戦後も他の森林鉄道の衰退を横に見ながら拡大を続けたものの、1953年の最盛期を過ぎると路線は縮小してゆき、1963年に森林鉄道としては道内最後の全廃となった。
1969年に根利森林鉄道(群馬県)の施設跡地に作られた林野庁森林技術総合研修所林業機械化センターが設立されると21号の移設が計画されたが、最終的には住民の反対運動を受け入れて撤回し、丸瀬布町に譲渡されることとなった(この時には代わりに、同じ北海道に存在していた置戸森林鉄道の蒸気機関車が根利に移設されることになった)。
廃線跡に整備中の丸瀬布森林公園いこいの森での動態保存を目指し1977年に札幌交通機械でレストア(営林署や地域住民の有志が定期的に整備していたおかげで動態復活が可能だった)、地域住民の協力で奥地の廃線跡に残っていたレールが集められて公園の廃線跡に敷設され、1980年に保存運転が開始された。1981年に保存線が全通した。
その後丸瀬布森林公園いこいの森には北海道に縁のある森林鉄道車両のみならず、簡易軌道や井笠鉄道の車両も保存され、道内の保存鉄道を主導する存在となった。