浅原事件
1290(正応3)年3月10日早朝、一族郎従を率いて宮中に乱入し、伏見天皇を殺害しようとして果たさず、清涼殿で息子たちと共に自殺した。自害する直前まで、身分的に絶対なり得ない太政大臣を自称するなど異常な行動が見られた。為頼が事を起こした動機は明らかでないが、大覚寺 ・持明院両統間の抗争が背景に窺える。当時も皇位継承に不満をもつ大覚寺統の亀山天皇(発生当時は上皇)がこの事件に関係ありとのうわさが流れたが、法皇は幕府に、事件に関係がない旨の誓紙を入れて事無きを得た。
為頼が自害に用いた刀が、公家三条家に伝わる「鯰尾」だったため、三条実盛が逮捕されている。