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代の中国僧侶


概要

仁寿2年(602年)生誕、麟徳元年2月5日(664年3月7日)没。

洛陽近郊の陳氏(地方官を歴任した士大夫)の家に生まれる。

10歳の時に洛陽の浄土寺で出家し、玄奘と名づけられた。動乱によって各地を転々としながらも、『涅槃経』と『摂大乗論』を学ぶ。

武徳元年(618年)に長安入りを果たし、後に戦乱を避けて成都に至る。その後も各地を巡り、20歳で具足戒(出家僧侶の守るべき戒律)を受ける。

「仏典の研究には原典による他ない」と決意し、また同時に仏跡の巡礼を志し、貞観3年(629年)に国禁を犯して出国。河西回廊~高昌~天山北路~中央アジア~天竺(インド)と長い距離を、時には道中の古刹にて5年に及ぶ期間学び、時には各地の仏跡を巡拝しながら旅を続けた。

そして天山南路を経て帰国の途につき、貞観19年(645年)1月、657部という膨大な経典を長安に持ち帰った。この功績が認められ、時の唐皇帝・太宗は密出国の罪を問わなかったばかりか、勅命を出して玄奘に経典の翻訳を依頼している。この時もたらされ、訳された経典は『大般若経』と呼ばれるようになる。


その業績は『大唐西域記』や『大慈恩寺三蔵法師伝』として纏められ、後に『大唐三蔵取経詩話』でフィクションを含有するようになり、最終的には『西遊記』に結実して世界中に知られるようになった。


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中国 僧侶

西遊記 三蔵法師

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