琴ノ若晴將(初代・琴ノ若)
1968年5月15日生まれ、山形県尾花沢市出身。
本名は鎌谷 満也(かまたに みつや)。
中学卒業後に本人は料理関係の仕事に就きたかったので当初は断っていたが佐渡ヶ嶽部屋に入門し、1990年名古屋場所新十両、1990年九州場所新入幕。殊勲賞2回・敢闘賞5回・金星8個と活躍。最高位は西関脇。
大器晩成型で、同部屋の琴錦が速攻相撲と同様のスピード出世だったのに対して、琴ノ若はミスター1分と呼ばれた相撲ぶり同様のスロー出世だった。
1996年1月に婚約し気持ちを大幅に入れ替えたが1月場所前に膝を怪我し5勝10敗、しかし3月場所では初日から7連勝し最終的に11勝し2度目の敢闘賞、4月に結婚し益々気持ちが入ったが5月場所前に肩を怪我し5勝10敗、しかし7月場所では貴乃花と曙の両横綱に勝利するダブル金星で殊勲賞など、大活躍の年となった。
1997年に鎌谷将且(2代目琴櫻)が生まれる。
1998年の名古屋場所でも11勝し敢闘賞、秋場所にも金星を獲得し殊勲賞を獲得するなど活躍した。
子煩悩で有名であり、その子供が2代目・琴櫻。甘いマスクで女性ファンが多かったという。
1996年4月に師匠の佐渡ヶ嶽親方(元横綱・琴櫻。琴櫻傑將)の娘と結婚・婿入りし名字が「今野」から「鎌谷」に。また佐渡ヶ嶽部屋を継承する事が決まった。
しかし2000年春場所前の部屋での稽古中の怪我が致命的になった、それでもたまに上位に勝利するなど要所で活躍していたが、2003年九州場所で何度目かの膝の怪我で引退もよぎったが、子供の励ましで気持ちが吹っ切れ復活、2004年春場所には11勝し5年半ぶりの三賞を獲得し、秋場所にも10勝し敢闘賞を獲得した。
2005年九州場所で師匠の定年退職により部屋を継ぐため引退し、年寄・佐渡ヶ嶽を襲名。主な戦績は、貴闘力とは19勝20敗、安芸乃島とは19勝16敗、武蔵丸とは13勝29敗、土佐ノ海とは17勝14敗、栃乃洋とは10勝12敗、貴ノ浪とは22勝29敗。
琴ノ若傑太(2代目・琴ノ若)→ 琴櫻将傑(2代目・琴櫻)
1997年11月19日生まれ、千葉県松戸市出身。
上記の初代・琴ノ若の長男であり、初代・琴桜の孫である。27年後大関にまで昇進。
2000年~2002年頃、幼稚園児の時すでに、園庭で遊ぶ時に大きな円を書いてその中で遊んでいたそう。遊び終わると円の中心に土を集め山を作っていた、力士は部屋での稽古が終わると土俵を掃き清めて真ん中に盛り土をするが、それを幼稚園児の時点でマネしていた程の角界のサラブレッドだった。
2000年~2002年頃、父親である初代・琴ノ若の現役中に不調の場所で負けが込んでくると、祖父の佐渡ヶ嶽親方(初代・琴桜)に叱られるのだが「親方、相撲は僕が頑張りますから、パパを怒らないで下さい。」、と庇われ佐渡ヶ嶽親方は「琴ノ若の事を怒りづらい」と嘆いていたそう。
2003年~2005年頃、本場所開催中の国技館の花道奥の通路や支度部屋で、父親と同じように廻しを付けて一緒に付いて歩いたり、談笑したりする姿が度々目撃されていた。
2020年3月場所で新入幕、2024年1月場所で13勝を挙げ5度目の三賞を獲得し3場所合計33勝となり大関昇進し、3月場所では1場所だけ琴ノ若(2代目)の四股名のまま大関として勤め、5月場所から琴桜(2代目)と改名した。
→琴櫻