大相撲第53代横綱。
1940年11月26日生まれ、鳥取県倉吉市出身。
本名は鎌谷 紀雄(かまたに のりお)。
立ち会いの際の強烈なぶちかましから「猛牛」の異名がある。
鳥取県倉吉市の警察官の子として生まれた。柔道を教わり中学生にして有段者となるが、高校時代に相撲部から助っ人を頼まれ全国大会に出場、その後スカウトされて佐渡ヶ嶽部屋に入門した。1959年1月場所初土俵。
柔道仕込みの投げ技が得意だったが、5年目の1964年、小結に昇進した琴櫻は横綱柏戸との一戦で右足首を骨折する大けがをしてしまい、十両にまで陥落。これまでの投げ技中心から押し相撲中心への転換により番付を上げていった。
大関在位30場所以上が経過した1973年、何度も角番に追い詰められながらも2場所連続幕内優勝を決めて1月場所後に横綱にまで昇進。しかし体力の衰えと持病の左ひざ痛から、1974年7月場所直前に現役を退いた。
引退後は佐渡ヶ嶽部屋の親方として、琴欧洲、琴奨菊、初代・琴ノ若らを育てた。糖尿病が悪化し敗血症のため2007年8月14日に死去。
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