概要
1983年2月19日生、ブルガリア北東部のヴェリコ・タルノヴォ州出身。
出生名はカロヤン・ステファノフ・マハリャノフ。
彼の一家は全員が体格が非常によく、カロヤン自身もレスリングで少年時代に欧州ジュニアチャンピオンになった程であった。
レスリングの階級制度変更によりレスリングの路を断念、ドイツに在住していた元床山の紹介で佐渡ヶ嶽部屋に入門し力士に転向した。
2002年に初土俵。その整った顔立ちもあり、人気を博した。
2005年に関脇に昇進。名古屋場所で朝青龍の連勝を24で止め、九州場所でも朝青龍に勝ち欧州出身者としては初の大関昇進。
2006年に「琴欧州」から「琴欧洲」に改名。
2008年に欧州出身者として初優勝。
2009年夏場所で白鵬の連勝を33で止めるなど活躍。
しかし2013年以降は怪我が多くなり不調が続き、2014年3月20日に引退した。大関在位は歴代で史上4位の37場所。
その後、親方としての活動と共に日本体育大学に入学して卒業し、現在は「鳴戸親方」として後進の指導にあたっている。当時怪我をした時に相談できる&応じれる人が誰もいなかった経験から、大学で学んだことを生かして弟子に「怪我をしない体作り」から始まる相撲を教えている。
2017年4月に佐渡ヶ嶽部屋から独立し、先代鳴戸親方(元横綱隆の里)の死去後途絶えていた「鳴戸部屋」の名称※が復活することとなった。
2009年に日本人女性と結婚して2014年に帰化しており、それ以降の本名は「安藤カロヤン」となっている。現在も大相撲開催期間中はテレビの解説席や花道の警備員等でその姿を確認することができる。
※「鳴戸部屋」は先代鳴戸親方の死去後、2013年12月に「田子ノ浦部屋」に改称。72代横綱稀勢の里が入門時から所属していることでも知られる。
エピソード
- 現役時代は角界随一のイケメンと評され、「土俵上の(デイビット・)ベッカム」とあだ名された事も。但し本人はサッカーに於いて母国の宿敵であるイングランドの選手に例えられることに少なからぬ抵抗感があった。ちなみに本人はブルガリア代表の英雄フリスト・ストイチコフのファンらしい。
- 2004年9月、ブルガリアヨーグルトを販売する明治乳業から化粧まわしを贈られた。明治乳業から佐渡ヶ嶽部屋にヨーグルトが納入され、独立後も2017年から鳴戸部屋にヨーグルトやジュースが提供されている。
- ブログを開設しており、不慣れな日本語で綴られた記事がかわいいと評判である。特に引退直後の記事は日本に来た事や力士になった事への感謝が綴られており、読者に大きく感動を与えたことで大変話題になった。
- 2015年に開催されたニコニコ超会議の「大相撲超会議場所」で開かれたOB戦では同じく元大関の雅山と対戦した。元々の対戦成績は琴欧洲が大きく勝ち越しており、引退してからのブランクも琴欧洲のほうが短いこともあってか勝負は琴欧洲が立会いからの一気の押し出しで呆気なく勝利。しかし、双方取組後は晴れ晴れとした笑顔を見せていた。
- 映画テルマエ・ロマエⅡには彼をモチーフにした「コトオウシュヌス」なる人物が登場するが、実は本人と言う説もある。
- 入門当初、相撲部屋のあまりの前近代的な環境に絶句したと語っている。ブルガリアにおいて最も人気のあるスポーツの一つであるレスリングチームは、食事からトレーニング内容までコーチや栄養士がつきっきりで管理する万全の態勢が整えられていたのが当たり前で、プロスポーツである相撲ではさらに素晴らしい環境が整えられているのだろうと期待していただけに相撲部屋(佐渡ヶ嶽部屋は有数の名門である)の「若い衆は冷えた具の少ないちゃんこだけ」「師匠は気合で行け、頭で行けだけ」といった状況は「何世紀前の話だよこれ…」とショックだったらしい。愕然とする琴欧洲だが、それでもくじけず大関まで登っている。こうした経験が上述の日体大進学や学識に基づいた「怪我をしない体作り」につながっており、言わば相撲界の「中から改革していく」努力を重ねているともいえる。
- 私生活ではカップ麺を買い込み、長男が幼かった頃は佐渡ヶ嶽部屋の近くにある市川市動植物園で余暇を過ごすなど、庶民的な一面が目立つ人物である。