概要
南北朝の時代に結城氏が小峰ヶ岡に小峰城として築いたのが始まり。
一時は白河結城氏の分家にあたる小峰氏が城主を務めたが、戦国時代末期には白河結城氏の惣領家が城主となっている。
しかし白河結城氏は1590年の秀頼による奥州仕置きで改易され、以降は蒲生、上杉が城主となり江戸時代には丹羽長重が城主となった。
丹羽長重は幕命により小峰城を近代城郭として改修。
その後は城主が立ち替わり入れ替わりが激しく、幕末には幕府の天領となる。
戊辰戦争の際には丹羽氏が城代として復帰することとなった。
尚、戊辰戦争においては奥羽越列藩同盟に所属し、幕府軍の敗北を決定づけた白河口の戦いに巻き込まれ焼失する。
1991年より天守等の復元が行われたが、法律により木造再建が難しい中「人を入れない建築物」として一度築いてから後に撤回するという法の抜け道を使って木造再建を成し遂げている。
おとめ桜の伝説
江戸時代の城郭大改修の際に石垣が何度も崩れることから人柱を立てることとなった。
公平を規すため、それが決まった日に最初に城を訪れた者を人柱にすることとなった。
最初に来たのは作事奉行の娘「おとめ」であった。
父親は娘に「来るな」と言う意味で手を振ったが、おとめは勘違いして「来い」という意味だと思ってしまい、結局人柱になってしまった。
後に人柱の箇所に桜が植えられ、この桜は「おとめ桜」と呼ばれるようになった。