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相沢忠洋

あいざわただひろ

相沢忠洋は、日本の考古学者であり、日本最古・世界最古の石器を発掘したことで知られる。
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概要編集

昭和に活躍した日本考古学者であり、戦後における日本の考古学の発展に大きな貢献をした人物である。

特に群馬県赤城山の麓にある岩宿遺跡での発掘調査で、約3万年前に作られた石器を掘り起こす大発見をしたことで知られる。


経歴・人物編集

生い立ち編集

大正15年(1926年)に東京府の羽田で貧しい家に生まれ、9歳の時に両親が離婚しその後は父と群馬で暮らすが、商家に丁稚奉公に入り孤独な境遇だったという。

18歳の時に召集令状を受けて海軍へ入隊し海兵団となり、駆逐艦「蔦」に乗っていた。


終戦後は復員するが8歳の頃に鎌倉へ移住した際に興味を抱いた考古学への夢をどうしても捨てきれず、群馬県師範学校の考古学者である尾崎喜左雄博士に師事し、納豆売りの行商をしながら赤城山麓で土器や石器の採取活動を行うようになる。


世紀の大発見編集

そして遂に昭和21年(1946年)から発掘調査を行っていた岩宿遺跡にて、相沢は「槍先形尖頭器」に当たる石器を発見し、調べられたところなんと約3万年前に作られたものと解り大騒ぎとなった。

しかも槍先形尖頭器は、その名称の通り槍先を鋭利にするために加工されている石器であり「磨製石器」に分類される。

こうした石器は海外においては「新石器」に当たり、約8000年前のシュメール文明から始まった新石器時代より約2万2000年前から日本では既に新石器時代が始まり文明が存在していたことを証明する、正に世紀の大発見であった。


考古学会からの迫害編集

相沢の活動を評価していた当時明治大学の大学院生だった芹沢長介は、彼が発掘した石器が非常に高い価値を持つと直感し、助教授の杉原荘介にも見せたが評価は著しくなかった。

しかし、しばらく経って杉原助教授は文部省(現:文部科学省)で岩宿遺跡での石器発見に関する記者会見を行うこととなり、その発表原稿にどこにも相沢の名前が無かったことから原稿を見た芹沢は怒り、杉原助教授に訂正を申し入れた。

だが、しぶしぶ訂正された原稿は「地元のアマチュア考古学者が収集した石器から、“杉原助教授が”旧石器を発見した」という表現となっており、結局彼の名前は出されなかった。


その後、昭和24年(1949年)7月に「3万年前の石器が発見された」と発表され、日本の考古学会を震撼させるビッグニュースとなり、この際に芹沢は「石器の発見者は相沢忠洋であり、日本の旧石器文化研究のパイオニアだ」と発信し続けた。

しかし、考古学会は相沢を詐欺師呼ばわりし、自分たちの地位を利用してアマチュアである相沢の発掘活動を妨害し、更には彼の人格を攻撃して誹謗中傷を行うなど、相沢は酷い迫害を受けるようになる。当時の考古学及び郷土史は、学者や地元の名士と知識人が主導権を握っていたため、学位も持たない庶民の相沢の業績は受け入れがたいものがあった。加えて、当時の関東ローム層が堆積した年代はしばしば起きる噴火により、石器時代の人間が暮らすには不向きであるため日本史は縄文時代からという説が一般的であり、戦前にも直良信夫が旧石器を発見した際も激しい批判にさらされていた。

現に相沢の発掘した「槍先形尖頭器」は、上述したように「磨製石器」に分類される石器だが、従来の世界史と食い違いが生じてしまうといった不都合なものであったため、学会は無理矢理に「打製石器」として扱っていた。


この影響で経済的にも追い詰められた相沢は、誰も住まなくなった古い廃屋に住み着き、そこの床板は畳も無くむき出しで凸凹な上に所々に穴が開いていて、柱も桟も斜めに歪んでいた。

寝床はなんと押し入れで、そこに藁を敷いて寝起きしていたというホームレス同然の生活を送っていた。

そんな相沢の様子を見た芹沢は腰を抜かし、世紀の大発見をしたはずの彼のあまりに酷い現状に涙を流し止まらなかったという。


再評価と晩年編集

しかし、そんな惨状にいてもなお相沢は挫けることもなく、愛する考古学への情熱を燃やして地道な発掘活動を続け、その後も数多くの遺跡と石器を発見していった。

そしてひたすらに続けていくうちに、時代の流れも手伝ってか自身への批判の声は徐々に無くなっていき、逆に評価する声が強くなっていった。


そうして昭和42年(1967年)において、遂に考古学者として正当な評価が成され、世間からも認められるようになり、この年に彼は吉川英治賞を受賞した。石器を発見した岩宿遺跡で発掘調査を始めてから実に21年後のことであった。

その後、晩年まで発掘に精魂を傾けていたが、平成元年(1989年)に脳内出血により63歳という若さで死去する。

昭和天皇は相沢を非常に高く評価しており、彼の功績を称えて勲五等瑞宝章を授与している。


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