概要
天文年間(1532年~1555年)の間に遠山氏によって築かれたとされる。
遠山氏は織田信長に降り苗木城は武田との戦いの最前戦となった。
本能寺の変の後森氏に攻められ遠山氏は逃げ、その後川尻氏の居城となった。
が、関ヶ原の戦いでは徳川に付いた遠山氏が苗木城を攻め落とし、領地を安堵されるのであった。
1万500石が与えられたが、この程度の石高では城は維持できず、遠山氏は3代にして資金不足に陥ることとなった。
何とか質素倹約で幕末持ちこたえるものの12代、最後の藩主の代に破綻。
明治政府に借金をして何とか立て直そうとするも、廃藩置県となり、借金が返せずじまいとなり苗木県は消滅。岐阜県に編入となった。
さらにこの際、士族への給付金等も無くなりいち早く庶民になってしまったため様々なトラブルが発生する原因となってしまった。
苗木城の土壁は赤壁がむき出しになっており「漆喰を塗ってもすぐ木曽川の龍神が食べてしまう」と噂された。
しかし実際は漆喰を塗るだけのお金も無かった藩の懐事情のせいだったとも言われている。
城は天然の石を石垣として利用した壮大な城となっている。
懸造という建築方法が利用された造りとなっている。