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蒟蒻問答

こんにゃくもんどう

蒟蒻問答とは落語の演目の一つ。 身振り手振りを交えた仕方噺と呼ばれるタイプの演目。
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概要編集

蒟蒻問答とは落語の演目の一つ。

「仕方噺」と呼ばれるタイプの代表例であり、難解な法論パートから最後の30秒で子供でも分かるしょうもないオチにつながるという間の抜けた噺。

最近では平伏するしぐさは省かれ、顔芸とともにリズミカルに6つのジェスチャーが流れていく演じ方が多い。


2代目の林家正蔵の作と伝えられているが類話が世界各地に存在し、南方熊楠は「インドから世界各地に広まり、日本へはオランダを経由して入って来たのではないか」という仮説を立てた。

下記のあらすじの通り真面目な宗教を揶揄した色合いのある話であり、立川談慶は著書の中で「仏教が大らかな宗教である証」の例として出している。

その一方で知名度の高さとわかりやすさから、お寺の法話、つまり真面目な説法などでもたびたび題材として使われる。


たまに「禅問答」と呼ばれるが、これは一般的に想像される禅問答(法案)ではなく宗論や法論と呼ばれるものなので「禅問答」では語弊を伴う。

織田信長の前で行われた「安土宗論」や、徳川家治の頃に起きた「三業惑乱」などが有名であり、このイメージに近い。

こういう問答は外野からは昔から笑い話にされており、狂言の「宗論」は『日蓮宗と浄土宗の僧が問答をはじめるが、最後はお互いに言っていることが入れ替わって「お互い変わんねーな」と悟って和解する』という話になっている。


この噺に由来して、論点の噛み合っていない受け答えのことを「蒟蒻問答」と揶揄することがある。

落語を知らない人には「蒟蒻を相手にしているようにふにゃふにゃしてて歯ごたえがないから」と理解されるが、下記の落語由来の言葉である。



あらすじ編集

以下の部分のみだと短いのでたいていの場合、この前手で何らかの小噺や、和尚になったいきさつ、かつての問答(法論)の在り方などを語る。


人々から兄貴分として慕われる蒟蒻屋の六兵衛は、寺の和尚から「各地を論破してまわると評判の旅の修行僧に問答を仕掛けられることになったが、勝てる気がしない」と相談を受けた。

六兵衛は「ただ何を言われても黙っていればいい。自信がないなら俺が代わってやろう」と、頭を丸めて袈裟を借りて和尚に成り代わる。


翌日旅僧が訪ねてきて難解な法論を吹っ掛けて来るが、蒟蒻屋は何も言わない。そこで旅僧も口を結び、以下のやり取りが始まる。


1.まず旅僧が両手の指を付けて小さな輪を作ると、六兵衛は腕も使って大きな輪を作り、それを見た旅僧は平伏する。

2.しからばと僧侶が10本の指を示すと、六兵衛は片手を突き出して5本の指を示し、再び僧侶は平伏する。

3.最後に僧侶が指を3本立てる様子を見せると、六兵衛は片目の下に指を置いた。


そこで僧侶は恐れ入ったと逃げ出すように本堂を出る。

陰から様子を見ていて驚いた和尚は僧侶に負けた理由を訪ねた。旅僧曰く

「途中から無言の行と気付き、こちらも無言でおたずねした。

1.『和尚の胸中は』と問えば『大海のごとし』。

2.では、『十方世界は』と問えば『五戒で保つ』と。

3.最後に『三尊の弥陀は』と問うたところ、『眼の下にあり』とのお答えでありました。

とても拙僧がおよぶ相手ではなかった」と語り、寺を立ち去った。


六兵衛が禅問答に勝ったことに感心した和尚が六兵衛の元に行くと六兵衛が激怒しており、理由を聞けば「あの坊主はふざけた奴だ、途中で俺が偽者でただの蒟蒻屋だと気付きやがった。

1.『お前ん所の蒟蒻は小さいだろう』とバカにしやがるんで、『こんなに大きいぞ』と返してやった。

2.野郎、『十丁でいくらだ』と聞くから『五百文』と答えたら、

3.『三百文にまけろ』とぬかしやがったんで『あかんべぇ』をしてやった」


関連タグ編集

すれ違いコント

回レ!雪月花 歌詞に「蒟蒻問答」が含まれる。

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