概要
11世紀、宋朝の元祐年間にある河川の西岸にできた。そのため、元の名を「西川」といった。物資輸送の駅として使用されたため西逓(「逓」は宿場)と呼ばれるようになり、また「桃花源裏人家」とも呼ばれた。
この村を支えていたのは胡氏である。10世紀、唐の昭宗の子が変乱から逃れてこの地に隠れ住み、胡姓を称した。胡氏は1465年に商売を始めて成功し、土木、建築、修祠、道路整備、架橋などを行った。17世紀中ごろ、胡氏から官僚が出たため、さらに発展した。18世紀から19世紀にかけて、西逓の繁栄は頂点を極め、600もの豪邸が作られた。
西逓村の中心には東西を貫く幹線道路があり、その両脇に並行する道路との間に沢山の路地がある。敬愛堂、履福堂、刺史牌楼の公共施設も設けられていた。現在でも明清建築の124棟が観光用に保全されており、そのほとんどが一般に公開されている。そのほかの主要建築物に、1578年に作られた青石牌坊、1691年に作られた大夫第(医師屋敷)などがある。
2000年11月30日、オーストラリアケアンズで行われた第24回ユネスコ世界遺産委員会により、「安徽南部の古村落」として、宏村と共に世界遺産に登録された。中国の5A級観光地(2011年認定)。
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