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遠州鉄道1000形

えんしゅうてつどうせんけい

遠州鉄道1000形とは遠州鉄道に在籍している鉄道車両であり、1950年から64年まで活躍した奥山線用の初代と現行車両の二代目についてそれぞれ解説する。
目次[非表示]

初代1000形

初代は1950(昭和25)年に、奥山線東田町(後の遠鉄浜松→現・遠州病院)駅~曳馬野間の電化と共に導入された。乗務員扉無しの2扉ロングシートの典型的な軽便鉄道車両だったが、1964(昭和39)年の奥山線全線廃止と共に姿を消し、14年の短い生涯だった。
結果として奥山線に導入された唯一の電車となった。

二代目1000形

プロローグ

1973(昭和48)年の普通のみながら高頻度運転を達成した遠州鉄道は乗客を大幅に増やしたが、以下の問題点も抱えていた。

  1. 貨物の受け渡しを行っていた都合上、遠鉄浜松(現・遠州病院)駅から遠鉄馬込へスイッチバックし、新浜松駅へ向かっていた為、大幅なロスタイムになっている。
  2. 新浜松~遠鉄助信(現・助信)駅間は踏切が多く、特に遠鉄浜松駅前の大通り踏切は遮断の度に渋滞を引き起こしている。
  3. 遠鉄浜松駅前後が踏切に挟まれている為、4両編成は1両ドアカットを余儀なくされている。
  4. そのホームも急カーブの為、扉を増やすと隙間が大きくなり、2扉車両にならざるを得ない。
これ等諸問題を解決すべく、浜松駅周辺の再開発計画が浮上し、遠鉄助信~新浜松駅間を高架化し、遠鉄浜松~新浜松間を短絡ルートの新線に切り替える計画が決定された。
そんな新時代へのニューモデルとして30形最終編成をテストヘッドに二代目1000形は生を受ける。

二代目1000形の特徴

  1. 直線中心のデザイン 30形湘南顔は時代と共に陳腐化した反省から、直線中心のデザインとなり、国鉄名古屋鉄道管理局→JR東海所属のユーロライナーにも影響を与えた程のデザインとなった。
  2. 遠州鉄道初の完全高性能車両 30形最終編成はモーターこそカルダン駆動となったが、ブレーキは発電ブレーキ付きと言えども自動空気ブレーキのままで、完全な高性能車両とは言えなかった。しかし、1000形は発電ブレーキ付き全電気指令式ブレーキとなり、名実共に高性能車両となったが、残念ながら運転台のワンハンドルマスコン導入は見送られ、遠鉄でのワンハンドルマスコンは2001年(平成13)年導入の2000形第2編成で採用された。
  3. 初の客用扉3扉車両 車体長を見直した結果、片側客用扉3扉化が可能となったが、新浜松~助信間が地上線だった1985(昭和60)年製の第2編成までは遠鉄浜松では中央扉締切のドアカット装置が設置されていた。(勿論高架化完成後の後年撤去)
  4. 塗装が大幅に変更 今までのスカーレット1色からスパニッシュレッドに白+グレー帯(細帯は実はグレー)のトリコロールとなり、30形も順次塗装変更された。


新時代のエースとなる

1983(昭和58)年、第1編成が導入され、最後の両運転台車両だったモハ21号とモハ36+モハ37のオールM編成を置き換え、高架化完成前の1985(昭和60)年に第2編成が導入され、最後の機器流用車だったモハ38+モハ39編成を置き換え、旧型車両グループは全滅する。
1985(昭和60)年12月1日、新浜松~遠州病院間の新線と新浜松~助信間の高架化が完成し、旧線ルートにあった遠州馬込駅が廃止され、第一通り駅が新線ルートに代替で新設され、1000形は新時代の幕開けの立役者となった。
1988(昭和63)年導入の第3編成以降はボルスタレス台車となり、その後は冷房化100%化を達成し、(1996(平成8)年)まで2両編成7本が導入されたが、更に技術が進み1999(平成11)年からはVVVFインバータ制御の後継機車両・2000形へ増備をバトンタッチした。

関連イラスト

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遠鉄1000形 1000系

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