遠州鉄道30形
えんしゅうてつどうさんじゅうけい
遠州鉄道30形とは1958(昭和33)年から、1980(昭和55)まで電動車15両・制御車11両の合計26両が製造された(電動車が多い理由は後述)。
遠州鉄道30形の車体前面二枚窓の湘南顔で17mのモハ31+クハ81第1編成を除き、18mの車体長であるが、遠鉄浜松駅(現・遠州病院駅)の急カーブの都合上、扉間2扉の構造だった。
地味に凄い理由として
- ・一部の機器流用車を除き完全オリジナル車両だった
- ・最終モハ51+クハ61編成を除きツリカケ駆動だった
- ・一部車両にミュージックホーンが搭載されていた(後年撤去)
- ・国内でも採用例が少なかったトーションバー式台車を一部で採用した
事だが、1は中小私鉄で完全オリジナル車両を導入するのが困難な中で、18年もの歳月を掛けて導入した(30形を置き換えるのも35年の掛かった)は驚嘆に値し、4はメンテナンスが頻雑だったのか、トーションバー台車は徐々に姿を消した。
車番 | 車体 | 機器 | 備考 |
---|---|---|---|
モハ31~35 クハ81~84 | 甲 | A | モハ33・35は方向幕付き モハ35は増結車だったが、後年余剰クハと組み2両編成化 |
モハ36~39 クハ86~89 | 甲 | B | モハ38・39とクハ88・89は方向幕付き モハ同士でオールM編成となり、クハは新造グループに編入 |
モハ25・26~28・30 クハ85・80 | 乙 | A | モハ26~28はクハ86~89の内3両に連結 |
モハ29+クハ79 | 乙 | B | 後にAグループに編入 |
モハ51+クハ61 | 乙 | C | 最終編成の遠鉄初のカルダン駆動車両で、1000形の試作車に相当する。 |
車体面は片開き扉と両開き扉に分かれる
片開き扉(甲) モハ31~39・クハ81~84、86~89
両開き扉(乙) モハ25~30,51 クハ85,79,80,61
メカニック面では完全新車と機器流用車に分かれる
ツリカケ駆動完全新車A モハ31~35・30・25~28 クハ81・82・84・85
機器流用車B モハ29・36~39 クハ83・86~89・79
でモハ29+クハ79編成とクハ83、86~89は後に完全新車に編入された。
カルダン駆動完全新車C モハ51+クハ61
当初は窓周りクリーム+緑のツートーンカラーでデビューしたが、踏切事故多発と視認性向上の為、モハ36+クハ86編成からスカーレット1色となり赤電の嚆矢となった。
クハ83は制作費節約の為当初モハ21と組んでおり、同様にモハ36~39+クハ86~89は旧型車両の機器を流用していた。
モハ30+クハ80から両開き扉となったが、モハ29+クハ79は機器流用車となった。
1966年の3両編成運転開始時にモハ21が増結車に転用された為、モハ33号と新造グループの増結用にモハ35が製造された。
モハが多い理由は1973年の高頻度運転開始の際にモハ36~39+クハ86~89編成のモハは1両に2個しかモーターが無くスピードアップのネックとなった為、モハ37とモハ39を方向転換しオールM編成となり、余ったクハは新造したモハ26~28とモハ35に連結し、モハ26~28と連結した編成はモハ両開き扉間+クハ片開き扉の混載編成となった。 そして、モハ36~39のオールM編成は第1編成に次ぎ早期に姿を消した。
1978年製のモハ25+クハ85編成はツリカケ駆動の冷房付き空気バネの地味に凄い車両で、しかも日本最後のノーズサスペンション式ツリカケ駆動車両で、次述するモハ51+クハ61編成よりも長生きし、2018年まで在籍していた。
1980年製のモハ51+クハ61は前面が一新されただけでなく、遠鉄初のカルダン駆動車両となり、モハ31+クハ81編成を置き換えたが、モハ25+クハ85編成よりも先に2017年末に引退した。
その後は1000形導入の際に塗装も近似のものに変わり、一部車両が冷房改造で延命し(同時に一部クハを組み替え)、徐々に1000形→2000形への置き換えが進み、2018年に最後まで残ったモハ25+クハ85編成が引退し、60年の活躍に終止符を打った。
編成 | 廃車日 | 備考 |
---|---|---|
モハ26+クハ86 | 2012.10.28 | |
モハ27+クハ89 | 2015.2.6 | |
モハ28+クハ82 | 2004.10.16 | 冷房改造の際にクハ88と振り替え。 |
モハ29+クハ79 | 1999.3.31 | |
モハ30+クハ80 | 2008.6.13 | 最初の冷房改造車だったが、冷房能力が低かった |
モハ35+クハ87 | 1996.12.28 | 唯一のモハ片開き扉の冷房改造車 |