CMLL
しーえむえるえる
メキシコのプロレス団体で、その歴史は力道山の日本プロレスやアメリカ・WWEよりも古い、老舗団体。
アレナ・メヒコを拠点に活動している
1931年、サルバトール・ルタ・ゴンザレスが、アメリカとメキシコの国境にあるエルパソでプロレス興行を見て、メキシコでの興行を企画し、メキシコシティの廃墟同然のボクシング会場「アレナ・モデロ」を賃貸契約、試合会場を修復して会場名をアレナ・メヒコに変更。
1933年、EMLL(Empresa Mexicana de la Lucha Libre)として設立、9月にアレナ・メヒコで旗揚げ戦が開催。
当初はアメリカから選手を呼び寄せて興行を開催していたが、サルバトールは柔術の心得のある友人のゴンザレス・アベンダーニョ・アギーラルを招聘、地元の選手育成を乗り出す。そのかいあって1934年、アベンターニョの教え子たちがデビューして純国産のルチャドールが誕生。
ほどなく観衆は増えて、500人ほどのキャパシティしかない初代アレナ・メヒコは手狭になり、ボクシング会場「アレナ・ナショナル」や闘牛会場「レオ・デ・コンデザ」にも進出。
1938年、サルバドールが個人的に買った宝くじに当選、それを元手に自社所有会場の建設に着手、5年後に「アレナ・コリセオ」を完成させる。
1954年10月、アレナ・メヒコの改築工事にも着手、2年で完成。
同時期、タルサン・ロペス、エル・サント、カベルナリオ・ガリント、ゴリー・ゲレロ、ブルー・デモン、ブラック・シャドーなどが台頭して1940年代から1950年代にかけて最初の黄金期を迎え、更にNWAにも属してNWA加盟時に管理、運営を任されていたNWAの王座であるライトヘビー級王座、ミドル級王座、ウエルター級王座を一任される。(現在も『NWA世界ヒストリック王座』として現存。)
1975年にUWA(1997年活動停止、2018年活動再開)が旗揚げ、選手達が大量離脱したが1990年にルチャリブレのテレビ中継が解禁されたときに企画部長のアントニオ・ペーニャの手腕によって新キャラクターが誕生、爆発的ブームになった。
同年には、CMLL女子部を立ち上げた。
1992年にペーニャが独立、AAAを旗揚げしてまた選手達が大量離脱したものの、立ち直っている。
2005年頃より、団体名をCMLL(Consejo Mundial de Lucha Libre)に統一。
日本では2009年から新日本プロレスと業務提携を結んでいる。
それ以前にはEMLL時代に末期の国際プロレス、SWSと提携していた。
また同じNWAの加盟団体ということもあり、全日本プロレスから大仁田厚、越中詩郎(サムライ・シロー)、三沢光晴(カミカゼ・ミサワ)、ジャイアント馬場がリングに上がっている。