「戦闘機よりも速く!」
これはドイツ空軍は一貫して追い求め続けた理想ではあるのだが、爆弾を満載して重量化した爆撃機に高速化を求めるとなると、迎撃機よりも高いハードルとなるのは必然であった。
数トンの爆弾を収容し、収容できるサイズの胴体も備え、それで戦闘機よりも速い。
どう考えても、飛行性能で小型・軽快な戦闘機を上回るのは困難であった。
いくら爆撃機が高性能化しようとも、その爆撃機のエンジンを戦闘機に積めば、簡単に性能で上を行ける。そんなわけで、ドイツ空軍ご自慢の「高速爆撃機」はDo17、Ju88と変遷していったが、結局は戦闘機に追いつかれるようになり、大損害になってしまうのだった。
より高速であるためには、より高性能のエンジンが必要だ。
だがエンジン開発とは失敗もありうる困難な事業であり、ほいほいと新エンジンを求めることには無理があった。そこで考えられたのは空力の改善であり、新しく開発されたジェットエンジンと組み合わせて高性能を得る事を目的に、その実証として実験機が製作されることになった。
ザ・キメラマシン(元祖)
だが時代は既に第二次世界大戦に入っており、悠長に実験機を新設計する余裕はない。
そこで採られた方法は、やはり「既存の航空機からの部品流用」であり、胴体はHe177から主に流用して後部はJu388(試作爆撃機)から持ってきた尾部を継ぎ、主脚はJu352(試作輸送機)から、前輪に至っては撃墜したB-24から拾ってきたものを使っている。
エンジンはユモ004ターボジェットエンジンを胴体前部に2基、主翼に2基の計4基を備える。
こうしたエンジンの変則的配置は黎明期によく試行されており、のちのXB-51にも影響を及ぼしている。
そらをとんだナチスの前進翼
1944年8月16日には初飛行を遂げ、こうして史上はじめての前進翼は大空へとはばたいた。
飛行試験はおおまか良好な成績を収めたが、計画が高速テストに進むにつれ、前進翼特有の問題に突き当たる。
これは「ダイバージェンス」といい、高速となって主翼端がいったん捲りあがりはじめると止まらなくなり、主翼が破壊される。これは主翼の強度を高くとることで対策としていたが、飛行速度が高速になるにつれ、この傾向がやはり明らかになってしまったのだ。
この問題を修正するには更なる主翼構造の強化しかなく、また設計も修正を余儀なくされてしまうのだが、その最中である1945年1月に試作機は空襲で破損し、以来修理もままならないまま終戦となった。
試作1号機のみが完成し、大幅に設計を改めた2号機はほぼ完成までこぎつけた状態でソ連軍に接収される。3号機以降から武装される予定だったようだが、実際に製作されることは無かった。
2号機以降
かなり変わる予定だったようで、wikipediaの記事に掲載された平面図では、かなりの相違点が見て取れる。計画の段階によってはエンジンはすべて主翼に配置する予定だったともいわれる。(図は胴体と主翼に分割しているもの)
エンジン6基搭載に強化される予定だったようで、試作2号機と3号機でもそれぞれ異なるエンジン配置を試すつもりだった模様。
銀幕のJu287
そんな訳があるわけない、と思ったら、「プロジェクト・イーグル」(1986・香港)の風洞実験室でのシーンでちゃっかり風洞模型が登場している。が、前進翼のせいで前後が分からなくなったのか、風洞実験室最後のシーンの展開のためか、どう考えても前後を逆にして配置している。
他にも基地が崩落する場面ではFi103(V-1)の模型も落下してくる。