概要
愛称『サエッタ』(稲妻の意)
1936年のイタリア空軍増強計画(プログラムR)の仕様に基づいてマッキ社が開発した戦闘機で、
設計にはシュナイダー杯で他国の設計者と高速水上機の設計を競ったマリオ=カストルディである。
この戦闘機の開発にあたって、まず840馬力のフィアットA74AC38空冷エンジンで500km/hを出さねばならなかったことが苦難の始まりであった。また、保守的なパイロット達は極端なまでの視界性能を要求した。これには、前面投影面積が増し、空力的にマイナスとなることは分かっていても、機体の背を猫背のように高くし、操縦席の視点を上げることで応えた。
1940年秋のマルタ島攻撃において掩護機として初陣を飾ったMC.200は、その後もギリシア、北アフリカ、ユーゴスラビアで実戦に参加、一部の機体は東部戦線でも使用された。初期の生産型は風防付密閉式操縦席であったが、操縦士達が開放型の操縦席を好んだため後期生産型からは半密閉式開放型に改められている。
よく「風が感じられないと嫌だ」という理由で開放式になったという話が出回っているが、それは当時の速度計があてにならなかったため、パイロットが体に当たる風圧で速度を計った方がマシだった意味で、決してロマンとかそういう理由ではない。
またガラスの加工技術が低かったため、単純に密閉式では視界が悪かったという理由もある。
運動性能の良さから初期の戦闘では優位に立つことができたが、搭載エンジンが非力だったため、
性能の高い敵機が登場するようになると太刀打ちできなくなっていった。
1943年にイタリアが連合軍に降伏した後も23機のサエッタが連合国側についたイタリア操縦士の手により運用されているが、これらの機体は主に練習任務に使われている。
なお、総生産数のうち約400機がマッキ社で製造されたほかは、ブレダ社とSAIアンブロジーニ社が生産を行っている。
このMC.200をベースに発展したのがMC.202フォルゴーレである。