解説
イタリア空軍の開戦当初の主力戦闘機MC.200のエンジンをドイツ製のDB601に換装、機首周辺を中心に再設計を加えた機体。
1,000馬力級のエンジン出力と薄い主翼、流麗な胴体の組み合わせにより優秀な機動力を発揮する高性能機だったが、12.7mm機銃×2挺+7.7mm機銃×2挺という軽武装と無線装置の低性能が弱点だった。
戦史
1941年後期から北アフリカ戦線に投入され、連合軍のホーカーハリケーンやP-40を数的不利にもかかわらず圧倒、スピットファイアMk.VやP-38にも互角の活躍を見せた。
1943年にはより強力なエンジンと武装を備えた後継のMC.205が実用化、徐々に置き換えられていくはずが戦局の逼迫はこれを許さず、MC.202はその軽武装にもかかわらずイタリア本土空襲で連合軍の重爆撃機迎撃を強いられ、結果として多数が失われた。
結局、MC.202は9月のイタリア降伏まで事実上の主力機のままだった。
降伏後もイタリアの戦いは続き、残存していたMC.202は連合側の共同交戦空軍、枢軸側のイタリア社会共和国軍の双方で運用され続けた。
なお、両軍は別の戦線で戦っていたので、MC.202同士の戦闘は起きていないとされている。
戦後は1947年まで練習機として運用され、一部は中東戦争のためにエジプトへ輸出されている。