⇒徳川家光(詳)
概要
『我は生まれながらの将軍である』
自分は生まれた時から将軍を約束された立場だ、という意味合い
(ただし徳川家光は秀忠の次男坊であり、長男「長丸」が早世していなければ長丸が征夷大将軍になっていたと思われる)。
徳川家康が征夷大将軍となり、幕府を正式に開いたのが慶長8(1603)02/12。
徳川家光が生誕したのはこの徳川が将軍家となった翌年慶長9年である為、このように名乗ってみせた背景がある。
ただしその出典は「名将言行録」とされ、実際にそう自称したのかの実情は不明。
徳川家光が、将軍就任の際「我は生まれながらの将軍である」と言ったそうだが、このエピソードの出典が知りたい。