藤本二三吉は、昭和5年「祇園小唄」を放った日本調の芸者歌手。
本名は藤本婦美で、浅草千束町一丁目生まれの生粋の江戸っ子。
6歳から常盤津を志しさらに長唄・清元・古曲と芸域の幅を広げた。
大正14年頃、日畜(日本コロムビアの前身)にスカウトされ、レコード芸者吉原〆治の良き後継者となった。
当初は姓なしの「二三吉」を名乗っており、葭町二三吉から「葭町」を取り、昭和6年4月かの新譜から、藤本二三吉を名乗った。
ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴
ふじもとふみきち
0/3000
編集可能な部分に問題がある場合について
記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。
報告を送信しました
ピクシブ百科事典では今後の開発の参考にするため、フィードバックを募集しています。あなたが使っていて感じたこと、見つけた問題をお寄せください。
いただいたフィードバックへの返信は行っていません。ご利用の際にお困りの場合は、ヘルプセンターをご覧ください。
個人情報は含めないようにしてください。
送信しました
またお気付きの点がありましたら、お気軽にフィードバックをお寄せください。