概要
紫電(紫電一一型)
ベースとなった紫電一一型は、水上戦闘機強風をベースに開発された陸上戦闘機であり、メーカーの川西飛行機が「強風を陸上機にすれば簡単に強い戦闘機ができるんじゃね?」と海軍に提案した事がきっかけで昭和17年に開発が始まった。
しかし、当の川西は陸上戦闘機に関して全くの素人であったため、完成を急いでなるべく強風の機体を流用しようとした結果、できあがった機体は空力的にも冴えない微妙なデザインとなってしまった。
原型機の中翼配置をそのまま引き継いでしまったがために下方視界は悪く、主脚は長くなりすぎて一度縮めてから折り畳むという複雑で壊れやすいものになる始末(折り畳むのにも時間がかかる)。さらに誉エンジンの不調も相まって性能も計画値にとても及ばなかった。
とはいえ、この時は零戦の後継機不在が深刻な問題になっていたため、僅かだが零戦より性能が高かった紫電一一型はこれらの問題を解決しないまま約1000機も量産される事になった。
当然ながら実戦の場でも(主に主脚絡みの)トラブルの連続であり、ほとんど目ぼしい戦果は挙げられず、挙句パイロットからも鈍重で空戦性能は零戦より遥かに劣る「乗りにくい」戦闘機と酷評されてしまうという、残念な戦闘機となってしまった。
紫電改へ
その一方で、これらの欠点を改善するために海軍は昭和18年に設計の改良を川西に指示し、昭和19年に再設計をした機体が完成し評価試験が行われ紫電改(紫電二一型)の名称で正式採用された。
どんな風に改良されたかというと…
低翼配置のオーソドックスなデザインとなったことで、下方視界が改善されたのはもちろん、トラブルの多かった主脚を通常のものにでき、胴体も細く洗練され幾分スマートになった。また、強風のものを改修した自動空戦フラップなどの装置が採用され錬度の低いパイロットでも操縦がある程度簡便なようになっていたようである。性能自体は僅かに向上しただけであったが、機体のトラブルが減って実用性は大きく向上した。
戦争末期ということもあり400機程度しか生産されなかったが、本命の烈風が量産できない状況の中、連合軍の最新鋭戦闘機と互角に戦える実力を持った紫電改は名実共に零戦の後継機として大いに歓迎され、松山の第343海軍航空隊などで集中的に使用され戦果を残している(多数が生産されながら少数をバラバラに配備してしまった結果、高性能でありながらあまり目立った戦果を挙げられなかった陸軍の四式戦とは大きな違いがあるかもしれない)。
最初こそ躓いたが、川西の見る目は決して間違ってはいなかったのである。
なお、いくつかバリエーションも開発され、試作のみだが艦上戦闘機に改造された試製紫電改二は実際に空母信濃への着艦実験を行っている。
現存機
アメリカに三機(いずれ元々は接収機)、日本に一機現存している。
アメリカ
- スミソニアン博物館(国立航空宇宙博物館)
- 国立海軍航空博物館
- アメリカ空軍博物館
いずれもレストアされて状態は良い。
日本
- 南レク馬瀬山公園内 紫電改展示館(愛媛県南宇和郡愛南町)
国内唯一の現存機である。
1978年愛媛県南宇和郡城辺町(当時。現在の愛媛県南宇和郡愛南町)の久良湾の海底から引き上げたものを修復した。ただし、引き上げ時の原形を保つ程度の修復および塗装のためプロペラが曲がったままなど完全な姿ではない。
元々は第343海軍航空隊所属機の未帰還機のうちの一機で、引き上げた際の状態は機首をのぞいて良かった。
余談
ちばてつやが週刊少年マガジンに連載した漫画『紫電改のタカ』により一気に知名度が上昇し、戦記物を始めとした創作物に登場する機会も増えた。
『機動戦士ガンダム』に登場するカイ・シデンは、本機の名前をひっくり返したのが名前の由来である。
『ストライクウィッチーズ』に登場する坂本美緒、竹井醇子、管野直枝、服部静夏、小村定恵のストライカーユニット「山西航空機 紫電改」の元ネタでもある。
ムーンクラフト・童夢の手によるレーシングカー、紫電の改修版として紫電改がある。
(由来はもちろん同機である)
カネボウ化粧品から同名の毛生え薬(薬用紫電改)が発売された。
(名称の由来は同機からきている)
『艦隊これくしょん』では上述した艦載機型を使用する事ができる。また、紫電改の開発者の1人がこれをプレイしており、電子の戦場で紫電改を活躍させているそうである。
関連イラスト