曖昧さ回避
南紀熊野
近畿の和歌山県と東海の三重県にまたがる紀伊半島南部の地域名を指す。奈良県南部も含む場合がある。近世以前の南紀にあった牟婁郡と範囲が重なる。
熊野の名は奥まったという意味の「隈(くま)」から由来するとされ、死霊が籠もる場所・黄泉の地と言われる。
日本神話では死んだイザナミをイザナギが葬った場所とされ、神武天皇が近畿に向けて上陸し、大熊と出会った地である。
上古には熊野国造が治め、大化改新後に設置された牟婁郡に併合された。
熊野権現を祀る熊野神社の総本社である熊野三山(本宮・新宮・那智)があり、古代から様々な身分の人々が詣でる熊野詣が流行り、その多さから「蟻の熊野詣」と呼ばれた。
南紀一帯には「熊野古道」と呼ばれる熊野詣のための巡礼の道があり、熊野三山や和歌山の高野山、三重の伊勢神宮、奈良の吉野などとつながっている。神道・修験道・仏教において聖地とされる。
熊野三山には別当という行政長官が配置され、一大勢力として当地を治め、院政期・平安末期の源平合戦でも勝敗を左右する重要な勢力となった。
江戸時代には徳川家の御三家・紀州徳川家の紀州藩の領地となった。
明治期の廃藩置県後に複数の県に分けられたが、和歌山県と三重県に分割される前に、三重県の前に短命で消滅した「度会県(わたらいけん)」が熊野を和歌山県と分割していた。
2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録された。