暁(艦隊これくしょん)
あかつき
概要
特Ⅲ型(暁型)駆逐艦の1番艦に当たり、小さな身体でキビキビと働く頑張り屋さん。
妹である響、雷、電とは同じ第六駆逐隊の仲間でもあり、戦時には共に行動することも多かった。
また、竣工時は漣と同じ第十駆逐隊に配属されており、こちらとの付き合いの方が妹達より長い。
妹達と同じ第六駆逐隊に編入されたのは、第十駆逐隊解隊後の1939年11月であった。
彼女が妹達と行動を共にしたのは、それからちょうど三年間の間だった。
更に余談ではあるが、二人の妹である響と潮は終戦時に同じ第七駆逐隊に所属していたりする。
容姿
腰まである紺色のロングストレートに薄紫色の瞳。
服装は暁型で共通しているが、彼女は前鍔の付いた紺の帽子をかぶり、黒タイツを履いている。
「Ⅲ」の銀バッジは襟の左側。
また艤装も煙突など基礎は姉妹で共通なものの、彼女だけ両腰の魚雷発射管が一本づつ多い四連装になっており、右腕の甲にはマウントするように連装砲が1基追加され、左腕の甲には艤装右側にある防盾と同じデザインの盾が装備されているなど重武装である。
性格
「お子様言うなぁー!」
自称「一人前のレディ」と言うだけあって普段は礼儀正しく真面目。
公式4コマでは第六駆逐隊の纏め役としての役割をしっかり務めている。
しかしそれだけに子ども扱いされることに対しては敏感で、ムキになったり強がったりしている台詞も多い。
また、稀に電と同じく「なのです」を使っていたりもする。
実際には本人の言うように見た目以上に経験豊富な歴戦艦ではあるのだが、提督はそれを分かった上で弄って楽しんでいる節がある。
特にナデナデしたときの反応は面白く、そのせいで余計に撫でられるという無限ループに陥っている。
残念ながら実態は、一人前のレディならぬ一年生レディ、爪先立ちで背伸びしているお子様である事は否めない。
毎日「本日はお日柄もよく」と挨拶している時点で、「聞きかじった知識で精一杯大人っぽく振る舞おうとしている」のが見え見えである。
(日柄が良い=大安吉日であり、結婚式等に適しているのでよかったね、というスピーチの枕詞。決して朝の挨拶ではない。)
駆逐艦娘には、大人顔負けのレディとして通用する如月や夕雲のような艦娘も存在し、彼女達と比較されるとやはりお子様にしか見えない。
つうか同型の彼女なんかこのお方とならぶパーフェクトおかんだし。
むしろ暁型は「年の割にしっかりしている」というロリっ子の集まりの中、年齢相応に子供っぽいのが暁だったりして……。
提督からは装備の大きさを心配されていたり、お子様ランチに旗を立てられたりと、明確に子供扱いされている。駆逐艦であっても構わず事あるごとにセクハラに及んでいる疑惑の在る提督にしては、かなり例外的な扱いをしている。
雷とは対照的に、提督の父性や庇護欲を全力で刺激してくる「パーフェクト娘」と言えるかもしれない。
ただし、暁の水平線に勝利を刻もうとすると憲兵さんが飛んでくるので注意しよう。
性能
駆逐艦としては平凡な性能で尖った所は無く、高難易度マップでは力不足な感は否めない。
レアリティに関しても平凡で、1-1の全域から普通にドロップするが、夜戦では他の駆逐艦娘と同じく大人(戦艦)顔負けの戦闘力を発揮する。
容姿
服装はセーラー服に海軍帽で、髪の色は響とは対照的な黒。
普段は分かりにくいが、中破すると帽子の中にアホ毛があることが確認できる。
装備面では腕に連装砲が装備されていたり(1943年以降特型駆逐艦は第二砲塔を撤去して対空機銃の増設を行ったが、1942年に戦没した暁には行われなかった)、魚雷が四連装になっていたり(史実では暁型を含む特型駆逐艦は三連装のみなので、架空である)、足元にビルジキール(船の揺れを減らす装置の一つ)のようなものがついていたりと、姉妹との細かい違いが見られるが、ステータス上での違いはない。
長らく黒タイツ着用と思われていたが、娘TYPE2014年10月号のピンナップにて黒ニーソ着用と判明。
既にコミックやフィギュア、アニメのビジュアルでも黒タイツ着用が浸透していただけに、今後のデザインがどうなるのか見ものである。
レディーの嗜みなのか、被弾時の露出が非常に少ないのも特徴である。
余談
実は特III型で一番早く就役したのは雷(1932年8月15日)で、その次が電(同年11月15日)だったりする(暁自身は同年11月30日就役。響は一番遅く、1933年3月31日就役)。
ただし、似たような身の上には睦月型の一番艦である睦月がいたりするが……(睦月・1926年3月25日 如月・1925年12月21日 皐月・1925年11月15日)
追加ボイス
2014年2月14日のアップデートにて時報、放置、補給ボイスが追加。
改二の無いコモン駆逐艦としては、初めて時報が実装された駆逐艦娘である。
相変わらず自分が一人前のレディーであると主張しているものの、行動が子供っぽいのも相変わらず…いや、むしろ「ばかばかばか!」「ぷんすか!」「えっへん!」「そわそわ」というように、よりお子様っぽくなってしまった感すらある。
特に夜中の時報に関してはやたらと寝ていたり、怖がっていたり、トイレに行きたがったりと散々な様子。提督各位は紳士として責任を持って夜中のおトイレへエスコートするように。決してお漏らしさせるようなことがあってはならない。
一方で甘口とはいえちゃんとカレーを作っていたり、ケッコン後には提督の頭を撫でようとしていたりと、ほんの少しレディーな面を見ることが出来るようになった。
史実
1930年2月、佐世保海軍工廠にて起工、2年後の1932年の11月に竣工した。この時は「狭霧(綾波型六番艦。艦これ未実装)」「漣」の所属する第十駆逐隊に編入された。
(当時はロンドン軍縮条約の影響で、特型駆逐艦は三隻で駆逐隊を編成していたため)
翌年、第十駆逐隊は第二水雷戦隊に編入されるも友鶴事件や第四艦隊事件の影響を受けて、1935年まで性能改善工事を行うこととなった。
1937年には、第二艦隊第四水雷戦隊に編入されて日中戦争に参加。主に船団護衛や沿岸封鎖作戦などで活躍している。
1939年11月、第十駆逐隊は解散となり、妹達が所属する第六駆逐隊に編入されることとなった。
太平洋戦争開始後は、主に船団や空母の護衛に付いている事が多かった。
アリューシャン作戦では、キスカ島占領作戦で艦首切断という大被害を受けた響を護衛し、日本本土に帰還した。
(響はこの損傷の修理で出遅れたことから、第三次ソロモン海戦には参加しなかった)
そして1942年11月13日、第三次ソロモン海戦の第1夜戦において日本艦隊の先頭に位置し、敵艦隊を発見。僚艦を導くべく、米軍の軽巡「アトランタ」へサーチライトを照射しながら魚雷を発射するが、集中砲撃を受けて航行不能となり、午前2時頃に真っ二つに折れながら左舷に転覆、砲撃を受けてから僅か15分で沈没した。
この戦いは史上稀に見る乱戦であったため救助は行われず、乗組員も確認されただけで生存者は18名のみで、艦長や駆逐隊司令の山田勇助大佐をはじめとする第六駆逐隊司令部もほとんど助からなかった。
暁型姉妹としても第六駆逐隊としても最初の犠牲者となった。
そのため、轟沈時の台詞は上記における壮絶な最期を反映してか、無念さを窺わせるようなものとなっている。
ちなみに彼女が最期に放った二発の魚雷はアトランタに命中したと推定されており(大乱戦であり、雷や夕立も命中を告げており詳細は不明)、アトランタはこの損傷を復旧できないまま、翌朝に自沈。事実上の相討ちに近い形であった。
またこの戦闘では、雷も大破したが機関部は無事だったため生還できている。
歴代の「暁」
「暁」という艦名の駆逐艦としては、特型駆逐艦の「暁」は実は三代目であり、初代は明治時代にイギリスに発注した暁型駆逐艦(初代)の一番艦であったが、日露戦争で旅順港閉塞作戦中に蝕雷沈没してしまっている。
その日露戦争でロシアから駆逐艦「レシーテリヌィ」を鹵獲するのだが、ロシア側に使用を悟られないようにする目的もあって、沈没した「暁」の名前が受け継がれた。
(後に「山彦」に改称され、「山彦型駆逐艦」と呼ばれるようになる。レシーテリヌィの姉妹艦「シールヌィ」も鹵獲され、こちらには山彦型駆逐艦二番艦として「文月」という名称がつけられた)
戦後の海上自衛隊の護衛艦には「いかづち」「いなづま」の名前は受け継がれたのだが、「あかつき」だけは歴代の運の悪さからなのか受け継がれていない。
(「ひびき」も由来が違うので継承とは言い難い上、歴代の運の悪さで言えば「いなづま」も大概なのだが・・・)
暁はハブられ気味?
暁は史実的な意味で、結構ハブられ気味な要素が見受けられる艦である。
具体的な例を挙げると…
・特Ⅲ型で唯一、就役時に第六駆逐隊ではなく第十駆逐隊に配属された
・一番早く戦没した所為で、龍田指揮下の第十一水雷戦隊に入れなかった
・同様に、電探や対空機銃の増設も行われなかった
・前述のように、戦後艦に名前が受け継がれなかった
また、艦これ的な意味でも、比叡・霧島・夕立・綾波と第三次ソロモン海戦で戦没した艦には「改二」が実装されたのだが、暁に関しては2014年10月現在も音沙汰無いままとなっている。
…このことは黙っておいてあげよう、暁が拗ねてしまうから。
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暁(無印)