概要
室町幕府で寺社奉行職を務める武士(ただし、史実の室町幕政に寺社奉行は存在しない)。
主人である足利義満に呼び出されては無理難題を押し付けられ、困り果てた末に景徳山安国寺を訪ねて一休さんの知恵を借りるという物語の橋渡し役を担う。
人物
本来は義満から「後小松天皇の落胤であり、南朝とも縁を持つ伊予の局の実子でもある一休を監視せよ」、つまりは足利将軍家を脅かす危険因子になりかねない一休の動向を探る密命を帯びており、奉行という要職を務める高官の身にありながら配下に任せずに単独で行動している。しかし、気まぐれに任せた義満の戯れを痛快な頓智で返してみせる一休に何度も助けられているため、良好な交友を結ぶ仲に発展している。
若くして奉行職に就いた確かな実績と家臣随一の武芸を誇る知勇兼備の明朗快活な好青年ではあるが、時には将軍家の親類縁者や幕府関係者などからも頭を悩ませる難問奇題を投げかけられる一種の不幸体質であり、その度に馬を走らせて「一休さーん!一大事でござるー!」と安国寺に駆け込むのがお約束となっている。
また、西国屈指の守護大名として権勢を馳せる大内義弘の愛娘である末姫(すえひめ)に身分違いの恋心を寄せているものの、末姫もまた密かに好意を寄せているとはまるで気付いていないなど男女の機微には極めて疎い。
モデル
モデルは実在の人物であり、主に財政管理と領民訴訟を司る事務方「政所公役」(まんどころくやく)に従事して長官である執事の執務代行職「政所代」(まんどころだい)を務めた室町幕府官僚『蜷川新右衛門親当』(にながわしんえもん ちかまさ)。
一休のモデルである禅僧の一休宗純との交流はあったが、それは6代将軍を務めた足利義教の崩御後に出家して法名を「五峰」(ごほう)、雅号を「智蘊」(ちうん)とした晩年の一時に過ぎず、実際には出家以前の約10年前から続けている連歌についての教授を乞う弟子としての関係に留まった。後に、一休に智蘊を紹介した連歌師の宗祇(そうぎ)が精撰し、特に優れた先達7人の連歌を収めた『竹林抄』(ちくりんしょう)に名を連ねる「連歌七賢」(れんがしちけん)に数えられる。
蜷川家8代目当主の親当から代々に渡って名乗り続けた通称「新右衛門」(別表記で新右ヱ門)は、正式には『新右衛門尉』(しんえもんのじょう)であり、古くは律令制で定められた大内裏の警備を担当する部署「衛門府」(えもんふ)の官職を指す。衛門府は左衛門府と右衛門府の2系統があり、新右衛門尉は「新たに設けられた右衛門府の、長官(督)と次官(佐)を補佐する三番目の管理職(尉)」を意味する。
なお、格闘家の武蔵はこの蜷川家の子孫ではあるが、祖父が資産家の森家へ婿養子に入ったために傍系血族に位置することから「第26代蜷川新右衛門」とは呼べず、実際には曽祖父に当たる法学者の蜷川新(にながわ あらた)で約800年続いた蜷川家直系23代の系譜は断絶している。
関連イラスト
「そこを何とかお願いしますよ一休さん。ねっ、この通り!」
「一休さんに頼ってばかりじゃ駄目だ。たまには、拙者のとんちで…。」