概要
東南アジア(オセアニアに区分されることもある)に位置する島国。
正式名称はパラオ共和国。首都はマルキョク。
観光産業が盛ん。美しいサンゴ礁が知られており、ダイビングの名所である。治安も良い。
太平洋戦争(大東亜戦争)の激戦地であり、特にペリリュー島には日米両軍の多数の死者が眠っている。そのため、観光だけでなく慰霊に訪れる旅行者も多い。
日本との関係の多さで知られる国家であり、独立時の大統領クニヲ・ナカムラ氏など日系人が多く、国内に神社(南洋神社・ペリリュー神社)を有し、パラオ国民の多くはキリスト教徒であるが、神社にもこだわりなく参拝している。
世界一の親日国
パラオは親日国の中でも、インド・インドネシアなどと並ぶ『世界一の親日国』と評されるほどである。
主な理由としては、第一次世界大戦でドイツが敗れたことから、パリ講和会議において正式に国際連盟にやる委任統治を日本が行うこととなり、搾取を行っていたドイツとは逆に、台湾や朝鮮の保護統治に倣って近代化のためのインフラ整備や教育制度・医療施設の整備も行われ、生活水準の向上が図られていったことからとされ、特に当時の日本政府は地元民の学校教育に力を入れていた。
更に第二次世界大戦中は、アメリカ軍との激戦地であったペリリュー島やアンガウル島での戦いにおいて、戦力差の圧倒的だったアメリカ軍を相手に戦ったこともその要因の一つである。
ペリリューでは約5倍の戦力差がありながら、日本軍は共に戦おうとする地元のパラオ人たちを静止して避難させ、2・3日もあれば終わるというアメリカ軍の公言に反して1ヶ月半以上ものあいだ戦い抜いた。
アンガウルではなんと約20倍の戦力差がありながら斬り込みや夜襲といったゲリラ戦法を駆使してアメリカ軍に大きな損害を与え、米軍兵士は震え上がって夜になると神経が昂ぶって眠れず、闇夜にうごめく陸蟹やコウモリを斬り込み隊と間違えて発砲してしまうこともあったという。
また、大東亜戦争の勃発時には自ら志願して日本軍に参加するパラオ人も数多くおり、パラオ人で構成された『パラオ挺身隊』が組織され、ニューギニア戦線へ送られた。
クニオ・ナカムラ元大統領は、
「戦ったすべてのパラオの人々は、自らの命を犠牲にして日本に協力しました。彼らは苦しみましたが、日本軍に協力することにたいへん誇りを持っていました」
と語っており、上述した日本統治時代に建てられ戦後にも地元パラオ人の協力によって再建された『南洋神社(ぺリリュー神社)』の中には、パラオ人戦没者の顕彰碑が建てられている。
また、「ダイジョウブ(OKという意味)」「デンキ」「ジャンケンポン」など日本語由来の現地語も数多く流通している。
国際空港ターミナルや日・パラオ友好橋といった、日本の官民によるパラオへの経済協力と投資も盛んに行われている。
国旗の逸話
パラオの国旗は月を意味している。なお、国旗のデザインについて、非常に親日的であることや、国民の中から公募されて選出され、デザインが日章旗と似ていることなどから 「日本の国旗のオマージュでわないか」という説が広まった。
この説では、月は日章旗の太陽と対をなし友好を示すものであり、月が中心より若干左に寄っているのは、はためく時に中心に見えるように、併せて日本に対する畏敬の念の表れであるとしている。
これはあくまで非公式の巷説であり、パラオの国旗のデザイナーは日本の取材に対し、「パラオの美しい月を表現したもの」と語っており、パラオ政府内務省による国旗についての文書にも、デザインの類似性についての記載はない。
この説の起源は不明であるが、1982年にパラオのペリリュー島に日本の右翼系団体『日本青年社』の傘下組織である『清流社』が、ペリリュー神社の再建に支援した際に、賛同資金集めのために出版された冊子『ペリリュー神社奉賛会設立趣意書』には既にこの説が記されている。
関連タグ
アントニオ猪木:「イノキ島(俗称)」の名誉オーナー。