概要
1930(昭和5)年頃に鉄道省が製造したガソリン動車である42000形と42000形に高速ディーゼル機関を搭載した42500形を1951(昭和26)年に国鉄が再生改造した気動車。ガソリン機関搭載型である42000形は戦時中に起こった火災による大惨事の教訓やディーゼル機関の安全性・優位性からガソリン機関から高速ディーゼル機関に換装された。また良くも悪くも国鉄の標準型高速ディーゼル機関となったDMH17系ディーゼルエンジンが採用されている。
後継車として登場したキハ10形からは新たに液体式変速機が採用されたため、鉄道省及び国鉄が量産した大型気動車では最後の機械式気動車となった。
当初はキハ42500形であったが、1957(昭和32)年の称号改定によりキハ07形となった。
pixiv内では他の鉄道車両のイラストと異なり大半が車内のイラストで、車両を描いたものや擬人化イラストはメイン画像のイラストのみ(2015/6/8現在)となっている。称号改定前(キハ42500形)のものは1つだけあったのだが、現在は無くなっている模様。
特徴
高速ディーゼル機関の本格採用
戦後残存していた42000形に搭載されていた大型ガソリン機関であるGMH17型を高速ディーゼル機関であるDMH17型に換装。
量産大型車最後の機械式気動車
後継車のキハ10形では液体式となり、またキハ07形も15両が液体式として改造されたため、新規製造時から機械式の大型気動車では最後となる。
流線型を(中途半端に)取り入れた車端部
車端部は流線型を取り入れているものの工期を短縮するため茶筒のような曲線となっている。
機械式気動車の運転について
自動車の手動変速機同様にシフトレバーでギアの切り替え操作をし、クラッチペダルで発車、停車、ギア切り替え時の動力断続を行うもので、元々1両だけで運行する前提の構造であるため2両以上連結して運行する場合、遠隔操作によるギア、クラッチの操作ができず、各車両に運転士が乗り、汽笛やブザーなどの合図で一斉に操作をしなければならない。そのため2両編成で職人芸、3両編成では神業とも例えられるほどの困難な操作であった。4両編成でも運行されたことがあるが、運転操作をするのは3両までで4両目は補機類を動かすためにエンジンをかけているだけで牽引されているというものであった。
更に、半世紀近く前から自動車用手動変速機の多くが変速機内の一部のギアを除きほぼ標準装備している同期機構(シンクロメッシュ)もこの当時はまだ乗用車すら殆ど装備しておらず、同期機構そのものも構造上、車重が数十トンもあるような重い負荷には不向きなので、ギアを切り替えながら回転をあわせるダブルクラッチという操作が必須であった。
キハ07 901
本形式を語る上で忘れてはならない?のがキハ07 901である。
同車は来る非電化区間の高速時代に備え、ガスタービン気動車の実証実験のために、大垣でお役御免となり放置プレイを食らっていたキハ07を改造した車両である。
側面こそ従来のキハ07と変わりないものの、前面はDD54を思わせるFRP製の近代的なマスクに改造された。
しかし問題は見た目ではない。床下機器である。
主機関はディーゼルエンジンからヘリコプター用のものを転用したガスタービンエンジンに交換された。その連続定格出力、実に1050馬力。定格回転数は19500rpmと、当時のディーゼルエンジンの10倍以上に達する。
あまりに強大な出力のエンジンゆえ、そんなパワーを受け止められる変速機は現段階では作れないと判断したためかトルクコンバータすら無い直結段のみという電車まがいのギアを採用。
性能面では設計最高速度は150km/hに設定。そればかりか(鉄道技術研究所内での試験台でのものとはいえ)153km/hでの連続走行試験すら実施されている。
1970年2月より磐越東線で実地試験を開始。この時、同車は起動後60秒で55km/hに達している。つまり起動加速度は3.3km/h/s、地下鉄用電車に匹敵する数値である。
しかもこの数字はエンジンを止めたキハ58を1両ぶら下げての数字。
燃料消費こそ従来のディーゼルエンジン車の1.8倍と悪化したものの、騒音に関しては予想の範囲内であり問題はなかったと言われている。
そして同年7月。今度はエンジンを1230馬力にパワーアップした。こちらはギア比を変えて効率のいい回転数で運転できるように変更たことにより、燃料消費をディーゼルエンジン車の1.4倍まで抑えることに成功した。一方で性能、特に起動加速度では3.45km/h/sに向上している。
その後、本車の試験結果を元に製造されたキハ391系に役目を引き継ぎ、再び除籍された。
非電化高速列車
当時、国鉄は道路網への対抗策として新幹線のみならず在来線の速度向上も計画しており、「電化在来線向け高速列車」と「非電化在来線向け高速列車」を研究していた。
電化区間向けの列車は最高速度を130km/hに向上し、さらに振り子装置を搭載しカーブを高速で走り抜けることが可能な車両。つまり591系→381系である。
一方の非電化区間向けの列車であるが、非電化区間向けの場合は電車のように簡単には速度向上ができない。
理由は内燃機関と電動機の各々の特性による。
電動機には内燃機関では真似できないとんでもない特徴がある。
短時間であれば「過負荷運転」という名目で、定格出力を遥かに超えた出力を叩き出すことが可能なのだ。
このため数字上は同じような出力の車両同士であっても、気動車(内燃動車)よりも遥かに高い走行性能を発揮することができる。
(ちなみにこの考えを逆手に取り、「じゃあ逆に今までよりも小さい定格のモーターでも十分じゃん」という考えを採用したのがJR東日本の新型一般車両、いわゆる走ルンですシリーズである。交流電動機は直流電動機よりも構造がシンプルな分、今までよりもさらに無茶ができる。このことを逆手に取り、(数字上は)今までよりも小さい定格値で安価な電動機を採用。"パワーダウン"した分は直流電動機時代では考えられないようなとんでもない過負荷運転で埋め合わせているのである。どれくらいとんでもない過負荷をかけているのかといえば、正確な数字は不明ではあるものの例えば209系やE231系(定格95kWの電動機を使用している)の場合、発車時には定格の1.8倍、つまり170kWもの出力を発生させていると言われている)
一方の内燃機関にはそんな無茶苦茶な過負荷運転をさせることは難しい。と言うかほとんどできないと言ってもいい。
一応、ロータリーエンジンのような比較的シンプルな構造のエンジンであれば多少の荒っぽい扱いはできるものの(mazda787Bの走りなんかがいい例。最初から最後まで全開運転をぶっ通しで行い、数字上の非力さをカバーした)、それでも電動機のような無茶をすることは難しい。
要するに内燃動力の車両で性能をあげようとしたら、ストレートに定格出力を大きくする必要がある。
しかし出力を上げるということはエンジンの重量もそれに比例して増える。これも結構バカに出来ない。無闇に巨大な出力のエンジンを作っても、エンジン自身の重さでパワーアップ分が相殺されてしまう。
つまり、できることなら「ハイパワーでしかも軽いエンジン」がほしい。
そこで白羽の矢が立ったのがジェットエンジンの親戚というべきガスタービンエンジンである。
ガスタービンエンジンの潜在能力がどのようなものかは航空機の世界を見ればすぐにわかるだろう。
ディーゼルエンジンよりも遥かに軽量・高速回転のガソリンエンジンを(一部の用途を除き)あっという間に空から追い払い、そればかりか今なお「航空用エンジン」としては後継となりうるエンジンが存在しないと言ってもいい。
連続定格回転数もrpmで5桁が当たり前である。
重量に至ってはディーゼルエンジンより桁2つ軽い。例えば同じ420馬力級のエンジンでも、キハ110系のエンジンであるDMF14HZAディーゼルエンジンは1.3tなのに対し、OH-6ヘリコプターなどに搭載されているアリソン250ガスタービンエンジンが重量70kg。
この狂ったような数字はガスタービンエンジンの、「内燃機関」としてはあまりにシンプルな構造、そして「連続燃焼」で動力を発生させている点に起因する。ガスタービンエンジンは時に「扇風機で灯油(燃料)を燃やしているだけ」と評されるような構造である。エンジンを構成する要素は「多数の羽根車」だけと言ってもいい。このため軽量で余計な動きが少なく、しかもレシプロエンジンと違って連続して燃料を燃やすので重量あたりの出力はレシプロエンジンの比ではない。
この恐るべき能力が当時、世界中の鉄道技術者を魅了したのはある意味必然とも言えるだろう。ディーゼル車どころか電車をも上回る化け物車両を実現させる可能性すら秘めていたのだから。
現存車
5号車、29号車、41号車が保存車として現存しており、うち私鉄に譲渡された2両(5号車と29号車。両方とも改造工事がされているが、そのうち29号車は随分と様変わりしている)動態保存されている。残る1両である41号車は静態保存されている。