591系
ごひゃくきゅうじゅういちけい
1970年に川崎重工業で1編成が製造された。東北本線高速化(130km/hでの営業運転)計画のために交直両用としている。
車体とメカニズム
新製当初は3車体4台車の連接車であり、Mc1-M2-Mc3の3両で「クモハ591形」とされた。形式記号は旅客営業車の記号(普通車を表す「ハ」)が書かれているが、形式番号はちゃんと非営業車であることを示す9が割り振ってある。
試験の最大目的である振り子式台車には、軌道への横圧軽減対策と、曲線での乗心地改善のための車体傾斜機構で様々な方式があるが、クモハ591形では前者に移動心皿方式と自己操舵方式を、後者にリンク式とコロ式を採用。Mc1車運転台側は移動心皿方式+リンク式、Mc3車運転台側は移動心皿方式+コロ式、連接台車が乗るM2車は自己操舵方式+コロ式となっていた。連接車となったのはM2車のこの台車のためである。
この他、モーターは直流直巻方式と直流複巻方式、主制御器は抵抗制御方式と界磁チョッパ制御方式、パンタグラフは固定方式と空気圧式架線追随方式(形状は両方とも下枠交差型)と、いかにも試験車らしく複数の方式を比較対象として搭載していた。
ただし常用ブレーキは、滑走抑制を素早く且つ確実にできるよう電動ブレーキのみとし、補助として、当時の電車では既に旧型となった電磁弁併用型自動空気ブレーキを搭載している(国鉄の電車では80系電車あたりの世代の空気ブレーキ装置)。電力回生ブレーキの搭載は見送られたが、これは当時の電気車制御方式では、交流区間での電力回生ブレーキ回路の構成が複雑になり、重量が無暗に増えてしまうためであった。
各電動車の差異
界磁チョッパ制御側電動車と抵抗制御側電動車では力行時の動作はそれぞれの方式の電動車と同じだが、発電ブレーキ時の滑走抑制制御に差異があった。
抵抗制御側
各モーターのブレーキ用抵抗器は独立接続となっており、滑走時は滑走した車軸のモーターのみ発電ブレーキを弱めて再粘着を促す制御となっていた。
こうして、仙台運転所を拠点に試験走行が始まったクモハ591形であったが、その生涯は、前半は転籍、後半は改造の歴史でもあった。
転籍
新製翌年の1971年、国鉄は東北新幹線建設を決定。たちまちクモハ591形の出番が無くなってしまった。そして奥羽本線、羽越本線、鹿児島本線を転々とする。
しかし中央本線((塩尻-名古屋間の『中央西線』)電化が決定する。中津川以東では複線化も進められているとはいえ、全般的に曲線の多い中央西線を走る特急「しなの」用の電車製造に反映させるため、591系の存在はうってつけであった。591系2両は長野運転所に移り、信越本線で試験走行を開始。その結果は381系に反映される…のだが、実際に導入されたのはコロ式車体傾斜機構と簡易リクライニングシート(後述)だけであった。高評価を受けたメカも、抵抗制御+直流直巻モーターによる4系統独立発電ブレーキ制御は、当時の中央西線では変電所殺しの恐れがあり、空気圧式架線追随パンタグラフや、移動心皿方式横圧軽減機構の導入も見送られてしまった。
3両連接から2両ボギーへ
東北本線での試験中、M2車台車の自己操舵方式横圧軽減機構に不具合が見つかり、この台車の試験は打ち切られる事になった、当然連接車にする必要性がなくなったため、ボギー車2両編成に改造される事になったのだが、この時、改造を担当した国鉄郡山工場はなんとM2車の車体を外し、両先頭車の旧M2車側に短く切断した形の車体を接合して、余ったM2車の台車をくっつけたのだ。
しかし追加分の車体は鋼製。クモハ591形はアルミ合金製。アルミと鉄では溶接が不可能。そこで外から鋼板をあてがってボルト締めするという、どう見てもツギハギです本当に(ry)な事をやらかしている。
この結果、型式はクモハ591形(3両1形式)から591系・クモハ591形(旧Mc1車)、クモハ590形(旧Mc3車) へ変更された。
ガスタービン気動車(の予定だった・・・)
中央西線電化後、キハ391系で問題点となった個所の改善点をより営業列車に近い条件で試験を行うために、機械式ガスタービン気動車と電気式ガスタービン気動車としての改造・試験を行う予定であったがあえなく断念となった。
好評だった装備
乗客用座席を想定して装備されていた簡易リクライニングシートが後の国鉄型特急や同じく普通列車のグリーン車用座席に多く採用された。この簡易リクライニングシートの初期型はロック機構が装備されておらず、リクライニングした状態で席を立つとばねで勢いよく戻ってしまい「バッターン!」と大きな音をたてることから「バッタンコシート」というあだ名で親しまれて(?)いた。