サブマシンガン
さぶましんがん
歴史
黎明期
第一次世界大戦後半、膠着した戦線を打開すべく、各国軍は[塹壕]]線の取り合いに躍起になった。
塹壕内での白兵戦では長大なライフルは邪魔で、専ら拳銃や棍棒、ナイフ、円匙(スコップ)など取り回しの良い武器が使用された。
1917年、アメリカ参戦で追い込まれ、塹壕戦に適した軽便な自動火器が早急に必要となったドイツ帝国軍は、セオドーア・ベルグマン武器製造社に開発を打診し、1918年初頭にルイス・シュマイザーの研究チームはMP18を完成させた。
MP18は、敵陣へ向け疾走できる脚力を持つ若者で構成された『突撃歩兵(ストッス・トルッペン)』に供給され、3月21日からのドイツ帝国軍春季大攻勢ではフランス軍の塹壕線を突破し8日で65km前進する事に成功した。
攻勢は3ヶ月で頓挫しドイツ帝国は崩壊したが、MP18は各国軍の将官、研究者に強い印象を与え、以降、各国はサブマシンガンの研究開発にしのぎを削った。
第二次世界大戦――サブマシンガンの栄光と挫折
第二次大戦では、多くのサブマシンガンが実戦投入され、ジャングルや市街地といった、接近遭遇戦が生起しやすいフィールドでその威力を遺憾なく発揮した。
当時はコストの問題もあってか中距離から小銃弾をばら撒くことができず、瞬発的に多くの弾丸を発射できるサブマシンガンは、装備品が限定される空挺部隊を中心に重宝がられた。安価に大量生産でき訓練も容易いこともあって、ソ連軍歩兵などはサブマシンガンを実質的な主力火器として使っていたほどだった。
しかし、第二次大戦はサブマシンガンの限界が露呈した戦争でもあった。装薬が少ない拳銃弾を使用するがゆえの射程の短さ、ライフルと比較した場合の貫通力の乏しさはいかんともしがたい。事実、ドイツ軍は都市郊外の戦いでソ連軍の半自動小銃相手に苦戦した。
1942年、ヘーネル社がStG44を開発。薬莢を短縮した弱装弾とはいえライフル弾を使用し、長射程と命中精度を持ちつつサブマシンガン並みの制圧力を兼ね備えたアサルトライフルの普及により、第二次大戦後、サブマシンガンは戦争における活躍の場を急速に狭めていった。
作動方式
大きく分けてオープンボルト方式とクローズドボルト方式があり、特殊部隊用にはクローズドボルト方式が多く採用されている。
オープンボルト方式は、銃弾の装填・排莢を行うボルト(遊底)が後退位置から射撃サイクルを開始する方式で、ボルトが撃鉄も兼ねる構造のためメカを単純に設計でき、何より発射サイクルが非常に早くなる。このため、初期のサブマシンガンでは多く採用された。
しかし、これは射撃時に重量のあるボルトが前進するために射撃姿勢がぶれやすく、初弾や単発での命中精度に劣る欠点を抱えていた。しかしこれは、初期のサブマシンガンの運用方法を考えると、重大な欠点ではなかった。
クローズドボルト方式は、ボルトが前進位置から射撃サイクルを開始する方式で、メカは複雑になるが命中精度が高くなる。
この機構を採用した初期のサブマシンガンには、アメリカのユージン・レイジングが開発し、第二次大戦初期に海兵隊によって用いられたレイジングM50/M55があり、繊細な機構が脆弱性につながり軍用銃としての評価は低かったが、命中精度は優れており警察用途として十分な性能を持っていた。
各国の警察が強力な銃火器で武装した犯罪者と対決するようになると、市民への二次被害を防ぐため命中精度に優れたサブマシンガンが求められるようになる。
新世代のサブマシンガン
サブマシンガンは狭い室内や機内でも取り回しが楽な反面、拳銃弾を使うため射程距離は短く、貫通力が低い。性能のよいボディアーマーが犯罪者にも普及するようになると、拳銃弾では手に余るようになってきた。
ドイツのH&K社やベルギーのFNハースタル社は、フルサイズの歩兵ライフルを携行できない戦車兵やパイロットなどの使用を想定し、後方勤務の兵士の自衛火器としての運用も視野に入れ、ボディアーマーを貫通する性能を備え、かつ従来の拳銃弾なみのサイズの新型弾薬と、それを使用する銃器の開発を進め、その結果開発されたのが、FN P90やH&K MP7に代表される、PDWと呼ばれる一群の銃器である。
PDWは、高い防御力を有するようになった犯罪者に手を焼いていた特殊部隊にも注目を浴びた。
特にP90は、その奇怪な形状とは裏腹に非常に扱いやすいこともあって、現在では多くの警察機関や民間軍事組織で使用されている。
しかし、PDWは従来の弾薬体系とは異なる独自規格の弾薬を使用するため、冷戦が終了した現在では潤沢な予算を持ち、大きな裁量権を持つ軍事組織か、狭い体制となる民間軍事組織、警察機関、特殊部隊意外では採用は難しく、普及には時間がかかりそうである。特に西側諸国は長い期間費やしてNATO規格を導入したこともあり、腰が重くなるのも当然である。
サブマシンガンと犯罪者
軽便で扱いやすく、入手が容易な拳銃弾を使用するという特徴から、サブマシンガンは犯罪者たちからの需要も大きかった。
有名なのは禁酒法時代のアメリカで猛威を振るったマフィアたちであろう。
1929年2月14日の『聖バレンタインデーの虐殺』など、当時の新聞をにぎわせたマフィアの抗争事件で用いられたのがトンプソン・サブマシンガンで、その独特の射撃音から「シカゴ・タイプライター」と呼ばれた。
また、マフィアに対峙する警察もトンプソンで武装したため、警察もマフィアも同じ銃という皮肉な状況が現出した。
1960年代の西ヨーロッパでは極左テロ組織がVz61(スコーピオン・マシンピストル)などの小型サブマシンガンをテロに用い、多くの犠牲者を出した。
こうしたことから、欧米各国ではサブマシンガンに対する規制が厳しく、セミオートオンリーの民生品でも、銃身を規定以上の長さにしたり、ストックやフォアグリップ等を取り外して拳銃扱いにするなどの改造を行わないと、販売が許可されない。
まして、フルオート射撃可能な純正品など、銃規制がゆるいアメリカでも一握りの州でしか所持許可がおりず、銃自体も厳重に規制され、1986年以降は新規のフルオート火器は手に入らない状況となっている。供給が断たれて銃自体が非常に高価なことに加え、所持の為に必要な審査が厳重に行われている為に許可が下りるまでに申請から一年以上かかる事も普通である。
それでも違法な改造パーツを組み込むことでフルオート機能を回復することは可能であり、各国とも対応に悩んでいる。
フィクションに於いて
フィクションでは両手にサブマシンガンを持ってぶっ放すのも普通だが、実際にやると反動が強いため命中率が極端に下がり、場合によっては手首や腕等を痛めてしまう。特にストックを肩に当てた場合に顕著である。
腕の力だけで支えず、スリングやストックによって2点支持等すればいくらか負担は減るが、それでも実用的ではない。
ただし、P90等は低反動が売りで、片手撃ち・2艇撃ちなどのデモンストレーションを行っているので、実用性はともかくフィクションのような撃ち方が可能な銃といえるだろう(実用性を考えなくて良ければMINIMI2艇撃ちや重機関銃腰だめも可能)。
とはいえ、狙い撃ちなどはそれこそ超人でもなければ無理である。