ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴
編集者:勿茂
編集内容:記事本文に追記。

リチャード1世

りちゃーどいっせい

プランタジネット朝第2代のイングランド国王。フランスの半分も支配していた。獅子心王の異名を持つ

概要

リチャード1世/Richard I(1157年9月8日~1199年4月6日)

プランタジネット朝第2代のイングランド国王(在位1189年~1199年)。フランス王臣下のノルマンディー公、メーヌ伯、アンジュー伯、アキテーヌ公でもあり、フランスの半分を領有していた。

嫡子はなく、末弟ジョンが王位を継いだ。

勇猛さから獅子心王ライオンハート)と渾名される。

父:ヘンリー2世アンジュー伯アンリ)

母:アリエノール(エレオノール・ド・アキテーヌ

兄弟姉妹

 長兄:ウィリアム(夭折した)

 次兄:ヘンリー(共同君主若ヘンリー

 長姉:マチルダ(ハインリヒ獅子公妃)

 長弟:ジェフリー(ブルターニュ公ジェフロワ2世)

 長妹:エレノア(カスティーリャ王妃)

 末妹:ジョーン(シチリア王妃)

 末弟:ジョン(ジョン欠地王

妻:ベレンガリア(ナバラ王女)

経歴

1157年9月8日、ヘンリー2世とアリエノール(アキテーヌ女公)の間に第3王子として誕生。

1183年、兄の若ヘンリー王が亡くなるとヘンリー2世の共同君主となったが、代わりにアキテーヌを弟ジョン(後にジョン欠地王)に譲渡するよう命じられ、これを拒絶した。

1188年、ヘンリー2世とフランス王フィリップ2世の和平交渉中、フィリップ2世に臣従の誓いをし、公然と父と敵対した。

1189年、ヘンリー2世が病死し、イングランド王に即位した。

即位後すぐに資金集めを始め、1190年、フィリップ2世や神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世等と共に、聖地エルサレム奪回(第3回十字軍)へ向け、遠征に出発。皆、大国の王たちだったが、それぞれ思惑があり反目し合った。

先発した十字軍総司令のフリードリヒ1世は次々と武功を挙げたが、キリキアのサレフ河で溺死。

1191年、アッコンを攻略。女性や子供を含むイスラム教徒の市民2,700人を捕虜にし、後に全員処刑した。

オーストリアレオポルト5世が功績を誇示し旗を掲げたのをリチャードの側近が叩き落とし、レオポルト5世は激怒して帰国。遺恨を残す。

フィリップ2世はアッコンを占領後、病気を理由に自国へと帰ったため、単独で十字軍を指揮することになる。サラディンの指揮するイスラム勢と激しく戦ったが、エルサレムに到達することはできなかった。

1192年9月2日、先に帰国したフィリップ2世が、ジョンの王位簒奪を支援しているとの知らせを受け、イスラム側と休戦条約を結び、帰路についた。

オーストリアを通過中にレオポルト5世に捕らえられた。

1193年、身柄は神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世に引き渡され、イングランド側が身代金を支払うことで決着し、1194年に解放された。

イングランドに戻って王位を回復し、内政をヒューバート・ウォルターに任せ、フランス各地を転戦し、フィリップ2世と争った。

1199年3月25日、シャリュ城を攻撃中、肩にクロスボウの矢を受け、壊疽によって4月6日に死亡。享年41歳。ジョンが後継者となった。

逸話

  • 伝説の宝剣「エクスカリバー」を手にしたと称していた。
  • 王としてイングランドに滞在した期間は6ヵ月間で、その生涯の大部分をフランスで過ごした。内政はヒューバート・ウォルター(カンタベリー大司教)やウィリアム・ロンシャンイーリー司教)、ウィリアム・マーシャルペンブルック伯)などに支えられた弟ジョンが代行した。イングランド方言(英語)はあまり話せず、リシャール(フランス語で「リチャード」)と自称。
  • 勇猛果敢で剛直な反面、自己中心で冷酷な面もあった。女子供も容赦なく殺したため、十字軍の被害を受けた地域では子供が悪いことをすると「リチャードがさらいに来る」と脅した。
  • 十字軍の遠征途上、シチリアで義理の息子タンクレードに人質にとられていた妹ジョーンを解放したが、フィリップ2世(既婚)がジョーンに惚れてしまうなどゴタゴタがあり、フィリップ2世の姉アデルとの婚約を破棄し、対立の原因となった。
  • 宗教にはあまり関心がなく、アーディル王子(サラディンの弟)との交渉中、「余の妹と結婚してキリスト教徒になるのはどうか」と提案した。
  • 王妃ベレンガリアとの間に子は無く、弟のジョンを後継者にせざるを得なかった。キリスト教で御法度の男色を懺悔したこともあり、同性愛者説が流布したこともあるが、庶子フィリップ・ド・コニャックがいた。
  • 3頭のライオンをあしらったイングランド王室紋章はリチャードが発案。現在の英国国章やイングランドサッカー協会のエムブレムなど、幅広く用いられている。
  • 文才にも優れ、吟遊詩人騎士が囚われたリチャードと歌のやり取りをしたという伝説が残る。単旋律歌曲『囚われ人は決して』の作者とも言われる。
  • ルーアン大聖堂を愛し、自分の心臓を埋葬するように遺言した。遺骸はフォントヴロー修道院、脳と臓器をシャルー修道院に埋葬させ、イングランドには彼の遺体は葬られなかった。

リチャード1世をモチーフとしたキャラクター

最後のレストランのリチャード1世

「ヘブンズドア」ではなく遊園地にタイムスリップした。アーサー王伝説にあやかって名付けた『エクスカリバー』という剣を持っている。

蒼き狼と白き牝鹿シリーズのリチャード1世

「ジンギスカン」でプレイヤー武将として初登場。フィリップやハインリヒ、サラディンを相手に戦い、聖地奪還ばかりか世界征服を狙う“獅子心王”。元朝秘史チンギスハーンにも登場して活躍するがいずれも武力が最高で政治力が最低と言う極端なステータスである。おそらく、イギリスで政務を執ったのが1年にも満たなかった事によるものと思われる。統治する国は同じ英国なのだが、イングランド(ジンギスカン)、アンジュー朝(元朝秘史)、イギリス(チンギスハーン)と国号が異なる。

アイヴァンホーのリチャード1世

第三次十字軍で活躍するがオーストリア公レオポルド(黒幕はフィリップ2世)に捕まり、主人公ウィルフレッドがその問題に絡む戦いに奔走するという創作が加味されている。1997年に放映されたイギリスのテレビドラマでは、リチャードの無責任と我儘がジョンの謀反を招き、臆病者のジョンが政治に励んだのでイギリスは滅亡を免れたという史実を投影しており、従来の善玉史観とは異なった解釈も存在する。

ディズニー映画のリチャード王

ロビンフッドに登場する、イングランド(動物の国)を治めるライオン王。史実で彼が行った悪政や短所(我儘で冷酷非情な気質)は全部弟のジョンにスライドされており、リチャードは絶対善の名君として描かれる。プリンス・ジョンの項目を参照されたし。

Fateシリーズのリチャード

Fateシリーズのひとつ『Fate/strangeFake』にて、セイバーのクラスのサーヴァントとして登場。詳細はセイバー(strangeFake)を参照。

関連記事

編集者:勿茂
編集内容:記事本文に追記。