ピクシブ百科事典

アリエノール

ありえのーる

主にヨーロッパで用いられる女性の名前。
目次[非表示]

概要

1.プロヴァンス起源の女性名。エレオノール(仏)、エレオノラ(伊、西)とも表記。エレアノールとも。
2.中世イングランドの王族。ここでは主に、2について紹介する。

アリエノール=ダキテーヌ

仏国のプリンセス

アリエノールは1122年、アキテーヌ公ギヨーム10世の娘として聖誕した。トルバドゥール(騎士の恋愛などを語る吟遊詩人)を保護する文化人的な貴族の家系に生まれ、祖父のギヨーム9世もトルバドゥールとして活躍した。女公(女貴族)として絶大な権力と莫大な土地や財産を与えられたアリエノールだったが、幼くして父ギヨームを亡くす。

苦境に立たされた彼女は1137年、後見人でもあったフランス国王・ルイ6世の皇太子(後の7世)に嫁ぐ。1147年の第2回十字軍には夫君と従軍するなど女領主らしい尚武の精神を見せたアリエノールだったが、1152年3月21日に近親婚であるという理由で離婚してしまった。その際、修道院で育ったルイ王の文弱さを評して「王では無く僧と結婚した」と述べたと言う。

英国のグレートマザー

その2か月後、アリエノールは11歳年下のアンジュー伯・ノルマンディーアンリと言うプリンスと結ばれる。アンリこそが後の英国王ヘンリー2世である。ヘンリー国王即位と同時に、アリエノールが所有する領地がイングランドと合わさり、巨大な国が成立した。彼女はヘンリーとの間に5男3女を生んだ。その中にはサラディンとの激闘で知られるリチャード1世や、立憲君主制の基礎を生んだジョン欠地王がいる。

ヘンリー2世の浮気や専横が甚だしくなって軋轢が生じると息子と結託して反乱、2世王を憤死させてジョンを降参させて圧勝した。その後は溺愛したリチャード1世の留守を守ったり、その後継者であるジョン欠地王と別居しつつも、彼の治世を補佐した。1204年、アリエノールは波乱こそあったが多くの子供や孫を通し、己の血筋を欧州に広めて崩御した。享年82歳。

pixivに投稿された作品 pixivで「アリエノール」のイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 545

コメント