概要
北海道札幌市中央区の桑園駅から樺戸郡新十津川町の新十津川駅までを結び、函館本線にほぼ並行して石狩川右岸を通っている。桑園発着の列車はなく、桑園駅から札幌駅までの1区間は函館本線に乗り入れる。学園都市線という愛称がついている。
路線名の『札沼線』は、以前に留萌本線の石狩沼田駅まで運行されていたことに由来する。新十津川~石狩沼田間は1972年6月19日に廃止された。2012年6月1日に桑園駅から北海道医療大学駅間が電化、10月27日にはこの区間が殆ど電車化された。一部列車は室蘭本線、千歳線方面の直通列車も設定。
電化区間の桑園駅 - 北海道医療大学駅間に限れば輸送密度は可部線に匹敵する。
駅一覧
駅番号がある駅は電化区間、ない駅は非電化区間。
駅番号 | 駅名 | 乗り換え路線 | 備考 |
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01 | 札幌 | ||
S02 | 桑園 | 函館本線(小樽方面) | |
G03 | 八軒 | ||
G04 | 新川 | ||
G05 | 新琴似 | 札幌市営地下鉄南北線 | |
G06 | 大平 | ||
G07 | 百合が原 | ||
G08 | 篠路 | ||
G09 | 拓北 | ||
G10 | あいの里教育大 | ||
G11 | あいの里公園 | ||
G12 | 石狩太美 | ||
G13 | 石狩当別 | ||
G14 | 北海道医療大学 | ||
石狩金沢 | 1944年7月21日休止、1946年12月10日営業再開 | ||
本中小屋 | 1944年7月21日休止、1946年12月10日営業再開 | ||
中小屋 | 1944年7月21日休止、1946年12月10日営業再開 | ||
月ヶ岡 | |||
知来乙 | |||
石狩月形 | 1944年7月21日休止、1946年12月10日営業再開 | ||
豊ヶ岡 | |||
札比内 | 1943年10月1日休止、1946年12月10日営業再開 | ||
晩生内 | 1943年10月1日休止、1946年12月10日営業再開 | ||
札的 | |||
浦臼 | 1943年10月1日休止、1946年12月10日営業再開 | ||
鶴沼 | |||
於札内 | |||
南下徳富 | |||
下徳富 | 1943年10月1日休止、1953年11月3日営業再開。新十津川駅との間に中徳富駅が所在していたが、2006年3月18日に廃止された | ||
新十津川 | 1943年休止、1953年11月3日営業再開。函館本線・根室本線滝川駅まで石狩川をはさんで3kmしか離れていない |
廃止区間
駅名 | 乗り換え路線 | 備考 |
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新十津川 | 現存 | |
石狩橋本 | 1943年10月1日休止、1953年11月3日営業再開。1972年6月19日廃止 | |
上徳富 | 1943年10月1日休止、1953年11月3日営業再開。1972年6月19日廃止 | |
北上徳富 | 1956年11月16日開業 1972年6月19日廃止 | |
南雨竜仮乗降場 | 1956年11月16日開業 1972年6月19日廃止 | |
雨竜 | 1943年10月1日休止、1953年11月3日営業再開。1972年6月19日廃止 | |
中雨竜仮乗降場 | 1956年11月16日開業 1972年6月19日廃止 | |
石狩追分 | 1944年7月21日休止、1956年11月16日営業再開。1972年6月19日廃止 | |
渭ノ津 | 1956年11月16日開業 1972年6月19日廃止 | |
和(やわら) | 1944年7月21日休止、1956年11月16日営業再開。1972年6月19日廃止 | |
中ノ岱 | 1956年11月16日開業 1972年6月19日廃止 | |
碧水 | 1944年7月21日休止、1956年11月16日営業再開。1972年6月19日廃止 | |
北竜 | 1944年7月21日休止、1956年11月16日営業再開。1972年6月19日廃止 | |
五ヶ山 | 1956年11月16日開業 1972年6月19日廃止 | |
石狩沼田 | 留萌本線 | 現存 |
使用車両
一部区間の電化前はキハ141系やキハ201系が使われていた。また電化後は711系電車が一時的に使われていた。
電化区間
非電化区間
余談
非電化区間のうち、浦臼~新十津川間の気動車列車は、2016年春のダイヤ改正後、1日1往復(上下1本ずつ)の列車の発着となっている。実際に終着駅の新十津川駅の時刻表をのぞくと、
9:40 | 石狩当別行き |
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1日1列車しか時刻が掲載されていない。
1943年から1944年にかけて石狩当別駅から石狩沼田駅までの区間が不要不急線に指定され休止(1943年石狩月形駅~石狩追分駅間、1944年石狩当別駅~石狩月形駅間と石狩追分駅~石狩沼田駅間)されたが、1946年から1956年にかけて休止区間の営業が再開された。しかし区間によっては営業再開が遅すぎたために新十津川駅以北が廃線になる遠因となった。
新十津川駅と函館本線・根室本線の滝川駅の間は石狩川をはさんで3㎞しか離れていないためバスでの連絡が可能(もちろん徒歩連絡も可能)。そのため新十津川町内の利用客が大幅に減少した。また、浦臼駅から函館本線の奈井江駅までバスで20分で連絡が可能である。
輸送密度200人未満で廃止の対象に
JR北海道は輸送密度200人未満の路線について、廃止し、バス転換を検討としていることを公表し、当路線の北海道医療大学~新十津川について廃止する方針を発表した。