建国(伝承では紀元前753年)以来の都市国家から発して地中海周辺地域を支配する巨大な帝国にまで発展した古代国家。
王政、共和政、帝政と政治体制を変えつつも1453年に東ローマ帝国が滅亡するまで「ローマ」として連続性を保ち続けた。国家としてのこれを指す際に、ローマの支配領域を意味する「ローマ帝国」(Imperium Romanum)や、主権者が誰かを示し繰り返し用いられた標語「SPQR」(元老院及びローマ人民)を便宜上用いられることがある。
元々はイタリア半島中部の都市国家だったが紀元前6世紀に貴族たちが王を追放して共和制に移行し、イタリア半島を支配する侵略国家に発展した。
紀元前2世紀頃以降、イタリアの枠を超えた大国になって以降は「ローマ帝国」とも称される。
共和政末期の紀元前1世紀にガイウス・ユリウス・カエサルが独裁的権力を確立し、帝政への道を開いた。
紀元前27年にアウグストゥスが全権を掌握し帝政を開始する。以降政治の実権はローマ皇帝が担うことになる。
紀元1世紀の末から2世紀にかけて即位した5人の皇帝の時代に帝国は最盛期を迎えた。この時代を五賢帝時代と呼ぶ。
五賢帝時代以降、ローマ帝国は北方からの蛮族(ゲルマン人)の侵入に悩まされ、3世紀頃から広大な領土を一体的に統治することが困難となっていった。
395年の東西分裂確定後間もなく、ラヴェンナを首都とした西ローマ帝国は滅亡するが、ビザンティウム(現イスタンブール)を首都とした東ローマ帝国は地中海東部を主領域として存続した。
東ローマ帝国はローマではなくビザンティウムを首都としていたことから「ビザンツ帝国」と称されることがあるが、冒頭記したとおり「ローマ」として連続性を保っており当該国家自体は最後まで「ローマ(帝国)」を称していた。
ただし、中期以降のビザンツ帝国はギリシャ語を話すギリシャ人の国家と化していた。