曖昧さ回避
ペンサコーラ市
アメリカ合衆国フロリダ州北西端の都市。ペンサコーラ湾に面する。人口51,923人(2000年)。
市名はネイティブ・アメリカンのペンサコーラ族に由来。
ペンサコーラ海軍航空基地、コリー・ステーション、ソーフリー・フィールド、ホワイティング・フィールド、ペンサコーラ海軍病院など軍事施設が数多く立地している。
ペンサコーラ海軍航空基地は、アメリカ海軍最初の航空訓練基地として1914年に設置された。この基地で訓練を受けた者にはアポロ11号のニール・アームストロング船長(海軍中尉)などがいる。
ペンサコーラ級重巡洋艦1番艦「ペンサコーラ」
艦名はフロリダ州ペンサコーラに因む。ニックネームは「グレイ・ゴースト」。
1926年10月27日起工、1929年4月25日進水、1930年2月6日就役。
1930年、ロンドン海軍軍縮会議で備砲が6.1インチ~8インチの艦は「カテゴリーa」(通称:重巡洋艦)と決定。
1931年7月1日、分類番号がCA-24になった。
1941年11月29日、輸送船団を率いて真珠湾を出港し、マニラに向かう。
1942年1月19日、真珠湾に帰投。
2月17日、第11任務部隊と合流し、日本軍のラバウル基地攻撃に向かうが、第11任務部隊は燃料が乏しくなり途中で引き返す。
3月10日、ラエ、サラモア(ニューギニア島)の日本軍を攻撃。
6月4日、ミッドウェー海戦に参加。
10月26日、南太平洋海戦に参加。空母「ホーネット」の乗組員を救助し、ヌメア(ニューカレドニア)に帰投。
11月11日、ヘンダーソン飛行場へ航空機を輸送する空母「エンタープライズ」を護衛してダンベア湾を出港。
11月29日、ルンガ沖夜戦に参加。魚雷1本が命中して損傷。炎上しながらツラギに帰投した。
12月6日、エスピリトゥサント島に到着。工作艦「ヴェスタル」に応急修理を受ける。
1943年1月27日、真珠湾に到着。修理を受ける。
1944年1月29日、マーシャル諸島の日本軍を攻撃。
6月13日、松輪島の飛行場を艦砲射撃。
6月26日、幌筵島の港湾施設や飛行場を艦砲射撃。
8月13日、真珠湾に到着。
8月29日、第12.5任務群に加わり、ウェーク島や南鳥島を攻撃。アメリカ海軍の次の目標が小笠原諸島であるかのように偽装。
10月25日、エンガノ岬沖海戦に参加。
11月11日、硫黄島に到着。連日艦砲射撃を行う。
11月20日、日本海軍の人間魚雷の攻撃を受けるが回避。
1945年2月16日、日本軍の砲台に撃たれて損傷し、17人が死亡。
3月3日、硫黄島からウルシー環礁へ向かう。
3月20日、沖縄へ向かう。
3月25日、沖縄に到着。上陸支援のため連日艦砲射撃を行う。
4月15日、沖縄からグアム島へ向かう。
5月7日、メア・アイランド海軍造船所(サンフランシスコ)に到着。オーバーホールを受ける。
8月3日、アダック島へ向かう。
8月15日、日本がポツダム宣言を受諾して降伏。
9月8日、大湊沖で停泊。
12月3日、硫黄島からの復員兵を乗せてサンフランシスコに到着。
12月8日、グアム島へ向かう。
1946年1月9日、グアム島からの復員兵を乗せてサンディエゴに到着。
5月20日、ビキニ環礁での原爆実験(クロスロード作戦)の標的艦に選ばれ、真珠湾を出発。
5月29日、ビキニ環礁に到着。
7月1日、エイブル実験(原爆の空中爆発実験)に参加。
7月25日、ベーカー実験(原爆の水中爆発実験)に参加。
8月24日、クェゼリン環礁に曳航される。
8月26日、退役。
1948年11月10日、ワシントン州沖で標的艦として海没処分された。