概要
日本で制作された『无障礙経(無障礙経)』『仏説大荒神施与福徳円満陀羅尼経(大荒神経)』で説かれる神で、三身を持ち、それぞれ如来荒神(にょらいこうじん)、麁乱荒神(そらんこうじん)、忿怒荒神(ふんぬこうじん)と呼ぶ。
三宝荒神のほか、その側面である如来荒神と麁乱荒神も独立した尊格として祀られることがある。
三宝(仏・法・僧)の守護神で、伝承では役小角が感得した仏神である。
伝承では「若干の使者あり」と発言しているが、その眷属の数は『笠荒神鷲峯山竹林寺來由記』では九万九千八百八、『荒神経』では九億九万八千五百七十二神に及ぶ。
眷属のうちの使者担当が若干数ということなのだろうか。
民間信仰から生まれたとみられる神であり、山伏、仏僧、行者、陰陽師たちによって尊格についての教えや信仰の作法が整えられたとみられ、日本各地に広まることになった。
火を鎮める竈(かまど)の神とされ、家庭では台所にお札が貼られて拝まれる。『真俗仏事編』によると家で三宝荒神を祀るのも役小角が始めたのだという。
日本曹洞宗の大本山總持寺など、格式ある大寺院でも祀られる例が見られる。
感得についての伝承
『真俗仏事編』が『大和国城上郡鷲峰山竹林寺記』から引くところによると、持統天皇の時代、金剛山地の金剛山(現在の奈良県)で役小角が念誦(神仏に祈りを捧げ、その文句を唱えること)していると、艮(丑寅、東北の方角)に空に赤い雲がうかび、豎幢(寺院の屋内に掲げられる垂れ幕)のように通っていった。役行者がその場所に行くと、そこには宝冠を被った、六本腕の神人がいた。
彼は右の第一手に独鈷杵、第二手に蓮華、第三手に宝塔、左の第一手に鈴、第二手に宝珠、第三手に羯磨(二つの金剛杵を十字状に交差させたような形状の仏具)を持っていた。
神人は「私は三宝の守護神であり、世間では荒神という。私は浄く信仰を保ち善行を修める者を助け、不信心で放逸にふける者を罰する。ゆえに世間の人々は荒乱神という。私には幾人かの使者がいる。三宝に帰依し敬う者を守護し、仏法に従わない者を罰する。にもかかわらず罰されるべき者は多いが、守られるべき者は少ない。あなたがもし私の真体(真の姿)を見たいのなら、七岫七谷(七つの峰と七つの谷)の山々がそれである」と言うと、その地に姿を消した。
このように山岳信仰としての顔も持つ。
三宝荒神の過去譚
『神道雑々集』の「荒神之事」では三宝荒神が自分を毘那夜迦(ヴィナーヤカ、歓喜天)と呼んでいる。
ここでは釈迦在世時のことであったというエピソードが語られる。あるとき、仏弟子シャーリプトラ(舎利弗)が道場を建てようとしたが、魔の者により破壊されてしまう。
彼は自分を敬わない者には「貧窮」「無福」「短命」「病患」などあらゆる災いがくだると語った。
そこで舎利弗はかれを敬うことにし、供物を捧げる祭を執り行うと数多くの願いが叶ったという。
ここで記された「那行都佐」という別名とともに『大荒神経』にも取り上げられている。
経中に登場する天女が過去数劫にわたって念じてきた空王如来という仏の三人の使者、飢渇神、貪欲神、障礙神は末世に荒神として顕れ、財物を奪うなどしており、障碍神としてのビナヤカに通じる特徴を持つ。それでいて、福徳を得、願いを叶えたり、仏教の堂や塔を建てたいと願う者、病を消したいと願う者たちは自分たちを供養すべき、と言う。
しかし彼らの意が荒立つ時には、罵詈雑言を受け福徳は少なく、財物は盗まれ奪われるといい、それもまた彼らの業なのだという。
本経の後のパートで三人が自ら仏の前に現われ、天女の語った事が事実であると語る。
それをうけて仏は荒神が「如来の権身」であると言う。仏法を保つための仏陀の方便として出現するのであり、ビナヤカも、護法善神たちも同じで「一身の分名」なのだという。
そして天女が話した三人の使者は大日如来、文殊菩薩、不動明王とされ、意の荒だった時が三宝荒神であり、意の静寂なる時は本有の如来であると語られる。
他の神仏との関係
空海に帰せられる『三宝荒神祭文』では文殊菩薩が本地とされる。
日蓮正宗系の伝承書『御義口伝』では『法華経』に登場する十羅刹女と同体とされる。
祇園社では午頭天王の眷属「蛇毒気神」と一体視され、本地とされた。
普賢菩薩と習合し、普賢三宝大荒神と呼ばれることも。
「霊神三宝荒神」という祈祷文では五行(木、火、土、金、水)に割り振られた日本神話の神と同体とされている。
メンバーはそれぞれククノチ、カグツチ、ハニヤスヒコ、カナヤマヒコ、ミヅハノメ。更にご神体の神としてオキツヒコ、オキツヒメ、オキナカヒコの名が挙げられ、彼らも三宝大荒神とされる。オキツヒコとオキツヒメは記紀に登場する竈の神。三宝大荒神社ではこの二人にオキナカヒコを加えて祀られる。
図像表現
赤い肌色で明王のような忿怒相をしており、三つの顔を持ち、それぞれに第三の目がある。腕は六本であることが多く、独鈷杵、矢、剣、鈴、弓、杖のほか、これらのうちの何れかを宝珠や矛等と置き換えたものがみられる。
京都の来迎院には四本腕の三宝荒神像が伝わっており、向かって左側の腕に金剛杵と法輪、右側に金剛鈴と仏塔を持つ。空海が唐の国に渡った際に感得した姿で、自ら像として彫ったという。
唐風の服装で、顔はいかめしいが一つで、造型は人間の男性そのもの。興福寺の文殊菩薩像みたいな感じで経典を入れた箱を頭に乗せている。
真興阿闍梨が感得したと伝わる小島荒神に近い姿である。小島荒神も唐風の装いをした四本腕の男性で、来迎院蔵の三宝荒神と異なり経箱は載せておらず、仏塔の部分は羯磨である。
三宝荒神の三身
如来荒神
仏菩薩のような柔和な姿をした荒神。身体の色は白い。六本の腕を持ち、前面においた二手で金剛杵と金剛鈴を、他の腕で仏塔、蓮華、如意宝珠、羯磨を持つ。
二本腕の場合もあり、その場合は金剛杵と金剛鈴を持つ。
愛染明王のように水瓶の上に咲く蓮華の上に座す。
麁乱荒神
『諸宗仏像図彙』によると「悪人を治罰する故に」麁乱荒神と呼ばれるのだという。
第三の目がある忿怒相の三面の上、頭部に別の五つの顔をもちこちらも忿怒相。八本の腕があり、前面の二手で金剛界大日如来と同じ智拳印を結ぶ。
他の手で、蓮華、金剛杵、仏塔、法輪、金剛鈴、如意宝珠を持つ。
不動明王のように巌の上に座し、後光は火炎型である。
高野山真言宗の鷲林寺、真言宗御室派の神呪寺で単独で祀られている。それぞれの寺の開基(創立)にまつわる伝承に登場する。
忿怒荒神
詳細不明。
真言
- オン ケンバヤ ケンバヤ ソワカ
『大荒神経』の最後に記された真言。ケンバヤの表記は「欠婆耶」。字は違うが『大日経疏』巻五にある日天の眷属である「剣婆」と音は同じである。
ただし本経に剣婆は直接登場せず、関連づけられるような記載もない。
関連タグ
上杉謙信:彼が用いたと伝わる「三宝荒神形張懸兜(さんぽうこうじんなりはりかけかぶと)」がある。