ピクシブ百科事典は2023年6月13日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

中院通富の編集履歴

2018-08-12 16:03:42 バージョン

中院通富

なかのいんみちとよ

中院通富とは江戸時代末期から明治時代の公家、華族

重要

父は内大臣徳大寺実堅侍従中院通繁の養子になった。

官位

正二位、権大納言伯爵

生誕

文政6年9月23日(1823年10月26日

死没

明治18(1885)年6月19日

経歴

山城京都で内大臣・徳大寺実堅の二男として生まれ、侍従中院通繁の養子となる。天保8年3月25日(1837年4月29日)に元服し昇殿した。天保12年8月29日(1841年10月13日)右近衛権少将に任じられ、右近衛権中将、兼参議権中納言を経て、慶応4年2月2日(1868年2月24日)権大納言となった。

安政5年3月(1858年)、日米修好通商条約締結の勅許案を巡り、中山忠能大炊御門家信広幡忠礼四辻公績正親町三条実愛正親町実徳三条西季知日野資宗庭田重胤八条隆祐橋本実麗野宮定功と共に、案文の変更を求めた。万延元年7月(1860年)儲君祐宮(後の明治天皇)の三卿に就任。その後、七次にわたって議奏加勢を務める。

慶応3年12月9日(1868年1月3日)王政復古を迎え、慶応4年2月20日(1868年3月13日)参与、林和靖間詰並御内儀口向等取締に就任。同年閏4月、桂宮祗候に転じ、その後、殿掌などを務めた。

1884年7月7日伯爵を叙爵した。

家族

通富は徳大寺実堅の次男で実堅は関白左大臣鷹司輔平の子で輔平は閑院宮直仁親王の第四王子であり。通富は東山天皇の子孫である。

系図

東山天皇閑院宮直仁親王鷹司輔平徳大寺実堅中院通富

系譜

父:徳大寺実堅

母:醍醐信子(権大納言醍醐輝久の娘)

養父:中院通繁

妻:中院繁子

養子:中院通規(実父は右大臣徳大寺公純

徳大寺公純は実堅の養子で、実堅の兄鷹司政煕の孫である。

関連項目

朝廷 公家 中院家 徳大寺家 日米修好通商条約 伯爵

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました