概要
神奈川県西部に位置する、人口20万人弱の城下町である。
鉄道
東海道新幹線、JR東日本(東海道線、御殿場線)、小田急電鉄(小田原線)、箱根登山鉄道、大雄山線の鉄道5社が交わる、交通の要所。駅の数も新幹線:1、JR:6、小田急:5、箱根登山:4、大雄山:6で合計22(小田原駅の重複分を除けば18)にもなる。
また新幹線発祥の地でもあるので、興味のある方はJR鴨宮駅に行ってみると良い。また、御殿場線の国府津駅-下曽我駅の間には「国府津車両センター」があり、運が良ければ東海道線の車両がズラッと並んでいる光景を目にすることが出来るだろう。
道路
道路交通も国道1号、135号、255号、271号(小田原厚木道路)、西湘バイパスがそれぞれ接続している。交通の利を背景に、国内でも有名な大手企業系列の工場・研究所が設置されている。
例)日立製作所、LION、第一三共、明治製菓、YKKAPなど
また、最近はAMAZON(アマゾンジャパン・ロジスティクス)の物流センターが建設されて話題になった。
お正月の箱根駅伝の第4区→第5区(メガネスーパー本社前)および第6区→第7区(登山電車風祭駅前の鈴廣)の中継地点としてもお馴染みになっている。
歴史・産業・観光
小規模な古墳群や出土した土器類等から、かなり古い時代より栄えていたと思われている。
有名になったのは戦国時代、北条早雲(いわゆる『後北条氏』の祖)が小田原に居を構えて、5代に渡り南関東を統治し、戦国時代最後の戦いの舞台にもなった。この北条5代の活躍を元にした『北条五代祭り』は市の最大のイベントとして、毎年5月3日にメインイベントの大名行列を行っている。また、11月20日前後の土日には、小田原城をスタート・ゴールとする『城下町おだわらツーデーマーチ』(ウォーキング大会)が毎年開催されており、全国から健脚自慢が集まっている。
シンボルの小田原城は一度解体されたが、昭和時代に復元され観光名所となっている。城の南側には、当時の勢いは無いものの昭和天皇もご覧になったという藤棚『御感の藤』がある。
また、豊臣秀吉が小田原攻めに際して築城した『石垣山一夜城』は小田原城の西、早川という所に歴史公園として跡地を見学できる。またこの早川の山中には、江戸城の石垣に使用された石切場がある。
平安末期には、源頼朝が挙兵後に戦った『石橋山古戦場』があり、そのすぐ近くには『佐奈田霊社』がある。
源頼朝が鎌倉幕府を開いた翌年に起きた『日本三大仇討ち』の一つ、曽我兄弟(五郎・十郎)の仇討ち(曽我物語)の舞台となるのもこの小田原である。この物語に因んだ『傘焼き祭り』が毎年5月中旬に行われ、相撲関係者も参加している。また、兄弟の名を冠する、この「曽我」という地(小田原市北東部)は梅の名所であり、「五郎」「十郎」という名前の品種も生産され、毎年2月上旬から3月上旬にかけて「梅祭り」が開催されている。
江戸時代末期から明治時代に、農業分野に尽力し『積小為大』『至誠勤労』などの言葉が有名にもなった『二宮尊徳』の生誕地でもある。
市の南西部の江之浦の海岸地帯は『東洋のリビエラ』と呼ばれ、風光明媚な観光地であり、また柑橘類の生産地となっている。ここで生産されたミカンやレモンの一部はワインやサイダーとしても加工される。
この他、江戸時代から続く蒲鉾等の練り物を含めた海産物、先述の梅(こちらもワインやサイダーがある)、緑茶の『足柄茶』、童謡「お猿のかごや」にも登場する『小田原提灯』等が有名である。
明治時代には、政府官僚や著名人の別荘地として賑わい、南町(西海子小路:さいかちこうじ)・板橋(東海道旧道沿い)には現在もその居構が残っていて、一部は観光用に公開されている。
また、風祭という地区は風魔忍者の発祥の地とされ、忍者による観光PRも最近行われている。
映画やテレビドラマの撮影のロケ地提供に力を入れており、古くは映画『天国と地獄』で身代金を電車の車窓から投げるシーンで使われている。
先述の北条氏が版図を広げた事に起因すると考えられるが、東京等に小田原市内にある地名(字名)と同じものが存在している(例:荻窪、板橋、新宿(しんしゅく・しんじゅく)、高田etc)。
縁のある著名人
阿藤快(阿藤海)、柳沢慎吾、夢枕獏、富野由悠季、二宮尊徳(二宮金次郎)など
軍艦・艦隊これくしょん
現在、大流行中の艦隊これくしょんの艦娘(元ネタは実在の軍艦)にも、小田原に関する名前の
のものがある。確認されているのは酒匂(市内中央を流れる『酒匂川』に由来)と足柄(神奈川県西部一帯の名称で「足柄平野」「足柄上郡」「足柄下郡」など)の2つである。
また、直接の関係はないが、『矢作』(矢矧)という地名もある。