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平頼綱の編集履歴

2019-01-07 13:37:13 バージョン

平頼綱

たいらのよりつな

平頼綱は鎌倉時代の人物。北条得宗家御内人、内管領。

概要

仁治2年(1241年)~正応6年4月22日1293年5月29日

北条時宗貞時の時代の内管領

霜月騒動安達泰盛を滅ぼし幕府の実権を握るが、貞時によって粛清される(平禅門の乱)。この事件は直前に発生した鎌倉大地震のどさくさまぎれに起こった、とされている。

彼の後、鎌倉幕府は一族の長崎氏ら御内人が実権を掌握していくことになる。

平左衛門地獄

頼綱の死から数十年が経ち、鎌倉幕府が滅亡して室町に幕府が成立した時代僧侶義堂周信熱海(元北条氏の所領)の温泉に訪れた際、地元の僧侶から聞いた話を日記に残している。以下はその文章を現代訳したもの。


平左衛門頼綱は数えきれぬほどの虐殺を行った。熱海には頼綱の別邸があり、彼が平禅門の乱で粛清されると館は地中に沈んでいった。人々はみな「彼は生きながら地獄に落ちていったんだ」と噂をしており、それゆえここは『平左衛門地獄』と呼ばれている。


大河ドラマ北条時宗』における平頼綱

大河ドラマ『北条時宗』では北村一輝の怪演によって時宗に対する忠誠心敵に対する残虐さを併せ持った人物として描かれている。初登場は第12話『暗殺』。ドラマでの彼は生まれも確かではない孤児で、当初は『八郎』と名乗った。覆面をした幕府の要人から位にしがみつく時の執権北条長時の暗殺を依頼され、実行する。後に日蓮に降りかかった危機を助けたことをきっかけに(長時暗殺の件をダシに泰盛を脅迫したも同然で)召し抱えられ、そこで時宗と出会うことになる。『平頼綱』という名は時宗から得宗公文所所司の役目を与えられた際、「身内ではない八郎をいきなり役職に就けては周りの者も黙ってはいない」との理由により時宗夫妻の勧めで平盛綱養子となった際に時宗から貰った名前となっている。ちなみに長時暗殺の実行犯であることは第30話で自ら明かすまでは時宗には知らされていない。

『北条時宗』第15話のアレなシーン カラーVersion

日蓮に本性を見抜かれて狂ったように殴りつけたり、蒙古軍の捕虜を皆殺しにしたり北条時輔の正室を斬り捨てるなど容赦なさ、正規の御家人が持っている武士の心を持たない一面がしばしば強調されている。が、時宗への忠誠心はほとんどであり、時宗に仕えるようになってから第22話『京の闇』で披かれた婚儀の席で「妻の実家(飛鳥井家)の者が怒ってまいる」との理由で時宗から直々に禁止されるまで「もったいのうございます、某のようなものが」という言葉が口癖となっていた。ちなみにこの縁談の際、頼綱は「某は一生妻を娶らず、時宗様に尽くすつもりでございます!」と堂々と宣言しているが、時宗の命もあって結局は結婚。夫婦共々時宗の子乳母(めのと、要は養育係)となる。北条教時が放った刺客によって時宗の妻子が襲われた際は身を挺して2人を守り、背中と脚を射られる大怪我を負うも頼綱は自らの身に刺さった矢を抜いて刺客を返り討ちにし、刺客から首謀者の名前を訊きだすことに成功した。この事件に激怒した時宗の命により二月騒動が勃発、頼綱は怪我を理由に館の防衛を命じられるも彼の強い懇願により怪我を押して戦場へ乗り込む。そして名越の館に乗り込んだ頼綱は教時の兄・時章の最期を見届けた。文永の役では時宗の命により博多湾での闘いに参戦(この際、「時宗様はわしに飽きられたのじゃあ!」とショックのあまり流血するほど頭を執拗に打ち付けて泣き叫んでいる)、蒙古兵を「敵は物の怪じゃ」と執拗に斬りつけて少弐景資から注意を受け、逆ギレをしている。

暗殺の件から因縁深い泰盛とは時が経ち、頼綱が幕府内で力を付けていくにしたがって対立するようになる。泰盛が貞時の烏帽子親になろうとした時は先に第7代征夷大将軍惟康親王に依頼、泰盛の企みを妨害する。弘安の役の際は政策をめぐって対立し、時宗と刺し違える覚悟で執権館へと赴いた泰盛を八郎時代の装束を纏って襲撃する。


その時宗への際どいまでの忠誠心は最後まで変わることがなく、最終話で時宗が亡くなった際は人目をはばからず大声で泣き叫び、妻からビンタを喰らうまで魂が抜けたように体育座りで凹んでいた。


「時宗様はわしの光じゃった・・・。たったひとり、わしを認めてくれた方じゃった・・・。」

関連作品

  • 蒼き狼と白き牝鹿Ⅳ

1271年のシナリオに鎌倉幕府の将軍として登場。

戦闘が低く智謀と政治がそこそこの能力値を持つ人物で商業スキルもある為、内政要員として役には立つ。ただし同じ内政向けであるライバルの安達泰盛の方が能力値は高く内政スキルの数も多い。

関連タグ

北条時宗

外部リンク

湧くWork・熱海温泉−温泉誌作成実行委員会編(3)=「平左衛門地獄」の伝承 13世紀末期、大地震で自噴・・・伊豆新聞2014年12月26日の記事より。

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