本来この項目はペリーの誘導記事でしたが、実はペリーはそのほかの利用法が多いため、こちらは人物の解説として使用します。
分類
- アメリカ合衆国の俳優、ただしpixivでは使用されていないが、この項目で解説。
- 幕末Rockの登場人物。マシュー・カルブレイス・ペリー・ジュニア、項目なし、一応解説する。
- アメリカ海軍の将校。この項目で解説。
- ラヴヘブンの登場人物。マシュー・ペリー(ラヴヘブン)この項目で解説。
アメリカ合衆国の俳優
マシュー・ペリーは、本名をMatthew Langford Perryといい、1969年にマサチューセッツ州にて生まれたアメリカの俳優である。小さいころはかなり優秀なテニスの選手であったが、俳優であった父のジョン・ベネット・ペリーに影響され、俳優となった。1987年デビュー、1994年に放送されたテレビドラマフレンズに出演してから有名となり、その後映画の主役等も回って来るような役者になった。
参照
幕末Rockの登場人物
幕末Rockの続編にあたる幕末Rock 超魂(ばくまつろっく URUTORA SOAL)に登場する人物。おそらくモデルはペリーおよび海軍に入隊した同名の息子であろうと推測される。
「すべてを革命せよ!」との号令のもと、世界制覇(この世界ではワールドツアー)を行う人物である。
参照
アメリカ海軍の将校
この人物は 1794年に生まれ、1858年に亡くなった。この人物の家族についてはペリーの「海軍一族」を参照してもらえるとわかりやすい。
5人兄弟の3人目(クリストファー・レイモンド・ペリー・ジュニア、オリバー・ハザード・ペリー、当人、ジェームズ・アレクサンダー・ペリー、ナサニエル。ハザード・ペリー)である。
1809年にアメリカ海軍に入隊。その後ジョン・ロジャーズ・シニア(アメリカ海軍一族の大元)の下につき、エリー湖の戦いなどに従軍したり、メキシコ湾に配属されたりした。ロバート・フルトンが実用化した蒸気船の技術を用いたフリゲート、フルトン号(初代)を作るため1801年に作られた造船所、ブルックリン海軍工廠に1833年に配属となる。1837年にはフルトン号(二代目)の建造にかかわり、大佐に昇進、また1940年には司令官となり、代将の地位を得た。この時の働きにより蒸気船海軍の父と呼ばれることがある。
1946年に発生した米墨戦争(テキサスの所属をめぐってのアメリカとメキシコとの戦争、結果、メキシコ北部がアメリカのものとなるいわゆるメキシコ割譲となった)に参戦、本国の艦隊の司令官となる。
そして1851年に当時鎖国中であった日本と交渉させるためのプランを海軍長官に提出、翌年、東インド艦隊司令長官となり、同年2隻の蒸気フリゲートおよび2隻のフリゲート(本来蒸気軍艦を3隻要求していたが、それは無理だったらしい)にてアフリカ大陸、インド大陸経由で日本に向かう。この際、長崎での交渉は当時日本と国交のあったオランダの妨害が予測されるとして回避、武力による開国を志したとされる。8か月かかった後1953年に日本に到着、親書を手渡し、開国の返答に一年の猶予を求められる。またこの際、琉球にも寄港し、同様のことを行ったようである。その7か月後、日本および琉球に再来、条約を結ぶ。
1855年にアメリカ帰国、その後は軍隊の仕事から引いたようである。1858年に死去。早死にした末娘とともに葬られる。
子供
子供はすべて合わせて10名。うち3名は早死にしている。同名の息子は海軍に入隊し、南北戦争などに参戦している。また娘の一人は有名な政治家であるオーガスト・ベルモントと結婚している。
そのほか
- リベリアにおいては奴隷の帰国事業に従事した人物として知られる。
- フリーメーソンのメンバーであったとされる。
- どうも晩年にはアル中、リウマチ、痛風などを患い、禿ていた、かなり不幸だったと思われる。
- アメリカではペリーという家名で連想される名前は彼より南北戦争の英雄である兄オリバーの方らしく、今でもフリゲート艦の名前にその名がつけられている。
- 幕府はペリーに押され渋々開国したように思われるが、元々開国そのものは国際情勢の変化等もありある程度は折込み済みであり(むしろ問題だったのは国内問題の方)、交渉の際には逆にペリーをやり込める場面もあったという。
参照
ラヴヘブンの登場人物
乙女パズルゲームラヴヘブンの攻略キャラクター。→マシュー・ペリー(ラヴヘブン)
異世界の危機を救うため、主人公により召喚された。
現在、鄭和や天草四郎のプロデュースにより、アイドルや俳優としての才能が開花した。