その他の例
概要
1944年生まれ。長野県出身。本名は畠山昭夫(はたけやま あきお)。
陸上自衛隊を経て役者の道へ進む。
「柔道一直線」や「ガッツジュン」等のドラマに出演後、「ウルトラマンA」・「仮面ライダー」・「ミラーマン」・「流星人間ゾーン」のゲスト出演を経て、1974年放映の円谷プロの「猿の軍団」に人間を憎む猿の警察署長ゲバーを演じ、翌1975年スタートの東映のスーパー戦隊シリーズ第1作「秘密戦隊ゴレンジャー」では、初代キレンジャー/大岩大太役でレギュラー出演。途中、出演する舞台とのスケジュールの問題で一時期降板するものの放送中に復帰し、子供目線のひょうきんで愛くるしいキャラクターを好演して、戦隊イエロー=カレー好きor戦隊イエロー=巨漢のイメージを定着させた。
※なお、第37作「獣電戦隊キョウリュウジャー」の段階で、カレー大好きを強調した黄色は初代キレンジャーと「太陽戦隊サンバルカン」のバルパンサー/豹朝夫だけで、次郎さん体型な黄色もまた、初代と2代目キレンジャーと、「大戦隊ゴーグルファイブ」のゴーグルイエロー/黄島太と「鳥人戦隊ジェットマン」のイエローオウル/大石雷太だけだったりする。
キレンジャー役での出演は、小説家すがやみつるが漫画家時代に、すがやの従兄弟の事務所に畠山が所属しており、師匠の石ノ森章太郎宅をすがやが訪れた際に、秘密戦隊ゴレンジャーのキャストについて打ち合わせにきていた東映プロデューサー平山亨に対して、すがやが畠山をキレンジャー役にプッシュし、その場で即決となった事によるものである。
また、すがやとは、彼が上京した頃からの友人でもあった。
その後は、映画やドラマに出演。ゴレンジャー収録時に家が近い事で車に同乗させてもらっていた宮内洋主演の「快傑ズバット」に用心棒のテニスの陣太郎で出演した。これは宮内が、畠山に「ぜひ出演してほしい」と直接オファーしたからである。
しかし、ゴレンジャー時代の共演者・誠直也が出演した「特捜最前線」の収録待ちをしている最中の1978年7月13日に自ら命を絶った。
誠氏本人のコメントによると、特捜最前線の収録でNGを連発する畠山を気遣い「明日のロケが終わったら飲みに行きましょう」と声をかけ、畠山も愉しみにしていた。しかし翌日も畠山の撮影はなかなかOKが出ず、先に撮影を終えた誠は翌日の再会を約束し、やむを得ず先に帰る。
翌朝は火葬場でのロケから開始したが、一向に現場に現れない畠山を心配したマネージャーが自宅を訪ねると、自宅で首を吊った状態で亡くなった姿を見てしまい、ショックを受けたという。
誠はこの突然の事態について、「ツラかったよ、あれは……」と後年のインタビューで語っている。
友人であったすがやも当時、自分が気をきかせて売り込んだことに責任を感じ、滅入っていたことを明かしている。
『猿の軍団』で共演した潮哲也とも仲が良く、飲食店に出かけ、一緒に飲みに行く間柄であった。支払いが不足した場合は畠山が支払っており、潮も畠山の自殺を知った際、「面倒見の良い人物で、後年訃報を聞いたときはショックだった」と述べている。